2020年を迎える前に「TOKYOオリンピック物語」を読む

近々「走り」を本格的に日々行っている人を被写体とした撮影があります。
予定しているシーンは、都市のなか、自然のなか、住宅街のなか、さらにはトラックと舞台が分かれ、しかもカット数もある程度必要なため、それぞれにいかに変化をつけるかがなかなかに難しいのであります。
 
 
過去の映画の中で「走り」はどう撮影されてきたのか、立て続けに「走り」が出てくる映画を見まくりました。
 
フォレスト・ガンプ」「炎のランナー」「ラン・ローラ・ラン」「風が強く吹いている」、そして「東京オリンピック」(市川崑
どれも「参考」という点では特に参考になるわけでもなく、まったく一から考え直そうと思っただけでも見た価値はあったかな、という感じです。
 
 
でも「東京オリンピック」という映画は実に素晴らしい。なんど見ても飽きない、新たな発見がある、記録映画の大傑作です。
「人を撮る」ことのすべてが詰まっています。
 
競技の記録だからそこに演出なんて付け入る隙などなく、行われているものを撮るだけ、といってしまえばそうなのですが、そこはやはり市川崑
明確に「人を撮る」という演出意図を持ち、それを何百人かのカメラマンに徹底し、「狙い」を浸透させています。
こういう撮影は、カメラマンひとりひとりがどれだけ現場で視野を広げて、フレームの外で繰り広げられている「人」を見逃さないかにかかっています。
東京オリンピック」は、オリンピックという舞台で起こっている「人の営み」を余すところなくすくい取った映画ともいえ、さぞかし市川崑はラッシュ(撮影素材)のひとつひとつに興奮したのではと想像します。羨ましい。
 
 
単独に映画だけ見ても面白いのですが、この本「TOKYOオリンピック物語(野地秩嘉)をあわせて読むと、50年以上前の日本の熱量がビシビシ伝わってきます。

 

TOKYOオリンピック物語

TOKYOオリンピック物語

 

 

グラフィックデザインピクトグラム、リアルタイムの速報、選手村での大量の調理システム、民間警備、今では当たり前のものがすべて東京オリンピックをきっかけに誕生したことがわかり驚きです。
 
「今の当たり前」が1964年の東京オリンピック以降に築かれたと思うと、2020年以降に、どんな当たり前が生まれるのか。
新しいものって世に出たその瞬間にはそれが後の当たり前になるかどうかになかなか気づかないけれど、2020年はいろいろな新しいものが満を持して飛び出そうとしているだろうから、そのひとつひとつを、どうだろうかと、確かめながら注目するのも楽しいかもしれません。