人生がときめく、より先に泣いちゃうなんて〜こんまりメソッドはボクにはいらない

NHKスペシャル「片付け〜人生をやり直す人々」
近藤麻理恵(こんまり)のドキュメントかと思ったら、こんまりメソッドのドキュメントで、しかもタイトルにある通り<人生をやり直す人々>への密着だった。
 
 
「捨てられない理由は2つしかありません。過去への執着と未来への不安です。」
というように、番組では片付けられない女性3人の過去をぐいぐいエグッていました。
 
片付けという断捨離、ミニマリストの提案かと思っていたら、なんだかカウンセリングやセラピー、さらにいえばスピリチュアルな香りがびんびんしてきて観ていて辛くなってきた。
あそこまで過去をほじくり出してまで片付けしなくちゃいけないかと思うと、ああ、散らかったまんまでもいいやとさえ思えてきます。
 
 
未来への不安、とかいうけれど、今にして思えばああ、その時処分しなければよかった、と思えることがいっぱいあります。
 
保存は、どんどんとデジタル化・データ化されてある程度最小限な形で残しておくことできるけれど、やはりモノとして残しておくことで、思わぬ価値が新たに付加されることがあるから片付けは慎重に行わなければならない。
 
 
自分のことでいうと、レコードはいっぱい処分しました。その時は「もうレコードなんて聴きゃしない」との思いで潔かったのですが、今となってみたら惜しいのひとこと。
学生時代買い集めていた「ビックリハウス」とか「(当時の)宝島」とかいう雑誌も、今となってみたら<あの時代の>研究資料として貴重だったなぁと後悔ばかり残ります。
自分自身の過去に関しても、大学時代ガリ版で刷った映画研究会時代の冊子や(今読むと笑っちゃう)創作ノートなんか、ときめきはしないけれど、確実に自分自身。分身。見返したりはしないけれどどこかにある、というだけで、あの時代の確実な証拠となりえます。
 
過去へ執着して何が悪い、てな感じです。
 
断捨離とかミニマリストとかこんまりとか、流行りにまかせて処分してしまうと将来きっと後悔を招きそうな気もします。
 
だから逆に、片付けではなく、「封印」という形で残しておくのもいいかもしれません。
例えばタイムカプセルのように。
 
5年後開くモノ
10年後開くモノ
子供が大学入ったら開くモノ
還暦になったら開くモノ
など、そういったカテゴリーに分けてその都度過去を振り返る。
 
家中に時限性のタイムカプセルが眠っているなんてステキかも。
 

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人生がときめく片づけの魔法 改訂版

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