教科書には載らない川端康成がホントはおもしろい

<たちの悪いいたずらはなさらないで下さいよ、眠っている女の子の口に指を入れようとなさったりすることもいけませんよ。と宿の女は江口老人に念を押した。>
 
 
 
<「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」と娘は言った。
そして右腕から肩をはずすと、それを左手に持って私の膝に置いた。(略)
「あ、指輪をはめておきますわ。あたしの腕ですというしるしにね。」と娘は笑顔で左手を私の腕の前にあげた。「おねがい……」>

 

 
 
ともに川端康成の小説の書き出しですが、たった数行の文章だけでその後に続くであろう世界がぱっと広がっていくようで惚れ惚れしちゃいます。
 
 
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」
だけじゃない川端康成
 
 
 
冒頭のふたつは、「眠れる美女」と「片腕」の書き出しです。
 
 
眠れる美女」は、全裸の若い女性に添い寝する老人の話だし、
「片腕」は女性の片腕を持ち帰りこれまた添い寝する話だし、
「みずうみ」という作品は女性のあとを追いかける男の話だし、
教科書に載らないような作品が、川端康成はホントはおもしろい。
 
 
そんな川端康成はユーモアのセンスもあって、ノーベル文学賞発表の日にこんな俳句を詠んでいます。
 
 
【秋の野に鈴鳴らし行く人見えず】
 
 
俳句を嗜む人は、こう解釈するかもしれません。
 
巡礼の鈴の音が秋の野に聞こえるけれど巡礼の姿は見えない。
隠れて見えないのか、もう巡礼が見えぬ遠くへ行ってしまったのか、鈴の音だけが秋風のなかに消えては聞こえる。幻のかすかな音なのか。
 
 
それに対して川端康成はこんなこと言っています。
 
 
単なる言葉遊び。
「野に鈴」の「野」と「鈴」で、ノオベル。
 
それを秋の野と季節を合わせ、「鳴らし行く人は見えず」と字数を合わせただけなのよ、っていう。
(「美しい日本の私」より)
 
 
 
入口は「雪国」でも「伊豆の踊子」でも教科書でもいい。
そこから広がっていくのが本の楽しさ。
 
合わせて読んでほしいたった5行の短編「掌の小説 化粧の天使達・花」

 

眠れる美女 (新潮文庫)

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みずうみ (新潮文庫)

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美しい日本の私 (講談社現代新書)

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掌の小説

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