声高に叫ばないアートたち

県立の某芸術大学で開かれていた卒業制作展に行きました。
広々としたキャンパスでは、彫刻、日本画、洋画、デザイン、映像などに分かれた棟ごとの教室で、大小バリエーション様々な作品が展示されていました。
 
展示箇所が記されたパンフレットに従い、どういう順番で回るのが効率がいいかなと動線を決め、棟から棟へとめぐるのですが、不思議なもので、ここが芸大、そして卒展、となると、展示された作品以外のモノの方に立ち止まってしまうのです。
 
 
例えばそれは、
校舎の壁に沿う植物

f:id:ume_tubu:20180311194221j:plain

例えばそれは、
おそらくいつもは掲示物で埋め尽くされているであろう階段横の壁

f:id:ume_tubu:20180311194255j:plain

f:id:ume_tubu:20180311194302j:plain

 
例えばそれは、比較的新しい校舎の渡り通路らしきところから顔を覗かせている植物のかたまり

f:id:ume_tubu:20180311194323j:plain

f:id:ume_tubu:20180311194331j:plain

 
 
どれもどこでもよく見かけるといえば見かける光景。珍しくもなんともありません。
でも、普段この場所を知らない者が、ここは芸大いまは卒展、を意識すると途端に目にするものが「アート」ぽく飛び込んでくるから困ったもんです。
 
とはいうものの、おそらく自分は、<なにかおもしろい作品見つけてやろう>と身構えていったからなのかもしれません。
裏を返せば、それだけ本命である卒業制作作品のほうに魅力を感じず、飽き飽きしていたからなのかなとも。
 
 
 
インスタが盛んになってみんなが<なにかおもしろいもの>を見つけようと躍起です。
なんてことのない食事や町並みさえ、自分はこんな目線で見つけたのよ、と一億総アーチスト状態です。
 
そんななか、芸術家を目指す学生らは大変でしょう。
ただ技術的に優れているだけではダメで、プラスアルファのなにかがないと素通りされていってしまいます。
発表の場も、ギャラリーやサロンという固定の場からネットへと広がって、プロモーション能力も重要となってきています。
 
 
学問的技術的に芸大とかで学んだアーチストよりも、そんな出身でもなくちょっと器用で面白がりのアートしてみました作品の方がおもしろいってことよくあるから。