これもあり、なんだ

フリーランスのお友だち〜本・映画・テレビ・ネット

世の中には2種類の人間がいる。鼻毛を気にする人と気にしない人

鼻毛の出ている人がいます。
ズームしなければ気づかない程度のちょろりならば、まあ見て見ぬふりして会話を続けることができます。
 
でもなかには、山の斜面に根を張る一本松のような鼻毛を、たくましく携えている人がいます。
そういう人と向き合うと、気にしない気にしないと思いながらも、どうしても視線は一本松にロックオンしていってしまいます。
 
ほら、私の視線。ほら、鼻にいってるでしょ。出てますよ鼻毛。
 
 
 
プライベートでクローズドな状況ならば構いません。その場限りですから。
でも、のちのち公になってしまう状況ならば困ります。
そうです、撮影の対象である人の、鼻毛です。
 
 
 
 
 
以前ある芸術家の密着ドキュメントを制作しました。
 
撮影初日の朝、「今日からよろしくお願いします」と顔合わせをし、見ると、そこに、ありました。
 
ヒゲ?
いえ、鼻毛。
右の穴から2本ほど。
面相筆の毛先ほどの鼻毛が堂々と。
 
むしろヒゲであってほしい。ヒゲのなかに紛れ込ませてほしい。
 
 
事前取材で訪れたときもあったっけ?と記憶をたどりますが、いやいやここまでの代物ならば、そのとき気づくはず。
 
挨拶代わりの「髪型変わりましたね」のように、「鼻毛伸びましたね」などと言えるはずもなく、さっそく撮影段取りの打ち合わせです。
 
 
しかし、こういう場合、迷います。
伝えるべきか否か。
 
取材者と被取材者との間には、まだそれほど深い関係性は築かれていません。
多少の演出は加えるとしても、ドキュメントですから極力ありのままの姿を撮影したい。
ありのまま、鼻毛ありのまま、Let It Go!です。
 
 
 
創作に取り組む芸術家の真剣な眼差しはとても美しく神々しいものです。
ただ一点、鼻毛を除いて。
 
 
経験と信念に裏付けされた言葉は重く説得力にあふれています。
ただ一点、鼻毛を除いて。
 
 
どんなに映え映えしく見目佳くても、どんなに崇高で人徳であっても、そこに鼻毛がふらふらとのんきに揺れているだけで、逆転サヨナラ満塁ホームランとなって権威がひっくり返ります。罪深き鼻毛。
 
 
しかし不思議でなりません。
このドキュメントは全国放送の番組です。アポなしでいきなり撮影するわけでもなく、事前に打ち合わせをし、撮影日も決まっています。
普通だったら撮影前に鏡見るだろうし、奥さんも一家の恥とならないようチェックするでしょう。
 
 
「あなた、鼻毛出てるから切っておいた方がいいわよ」
「なに鼻毛?なんだそれ、そんなもん気にして芸術ができるか。鼻毛を含めてが、今のオレなんだ」
 
 
 
芸術家とはこういうものなのか。自意識なんてものは芸術家には邪魔でしかないのか。
 
鼻毛が出てるかも笑われるかもなんて小さなこと気にしてたら作品に集中できない。
 
ペイントや土や油のついた服汚いから着替えよ、なーんて余計なこと考えてたら創作の神様が逃げていく。
 
こんなん創って発表したら誰かを傷つけてしまうと尻込みしたら新しいアートなんて生まれない。
 
 
 
 
世の中には2種類の人間がいて、鼻毛を気にする人と鼻毛を気にしない人がいる。
 
あの時そこにいたのは、
鼻毛を気にしない芸術家と、鼻毛を気にしない芸術家の鼻毛が気になって仕方がないしがないディレクター。
 
お気づきでしょうか、ここでいう鼻毛は壮大なるメタファー。
自分を立ちどまらせる鼻毛的なものはホント邪魔です。
 
 
 
 
 
追伸:知り合いに教えてもらいました。「タモリ倶楽部」で鼻毛についてこんなのやってたよと。

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 この文章、ラスト2行書かずに問題にすればよかった。
 
問1:作者は鼻毛をなにに例えているのでしょう?