森保監督のメモがもしもスマホのメモだったら

気づきましたか?いつもはあった「それ」が、あの時はなかった。
だからあの結果……なのかどうかは、わかりません。
 
 
「YOUは何しにニッポンへ?」とか「家、ついて行ってイイですか?」とか、シロウトさんに聞いてみました系番組を次やるとしたら…
実はこんな企画を用意しています。
 
 
『そのメモ、いま何書きました?』
 
 
第1回目のゲストとしてオファーしたいのは、サッカー日本代表森保一監督。

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しかし、アジアカップ勝戦では、頻繁にメモをとるその姿が見られませんでした。
 
 
 
 
いつも気になります。
打合せ中でも雑談中でも誰かがふいにメモをとると、訊ねたくなります。
 
「そのメモ、いまなに書きました?」と。
この話のどこが記録へのスイッチとなったのか。
ここ?そこ?ひょっとしてあれ?
 
 
 
人のメモが気になるのは、自分もメモラーだから。
少し前までは、小さなノートに手書きだったけど、いまはもっぱらiPhoneのメモアプリとEvernoteです。
メモアプリにささっとキーワードや断片だけメモって、落ち着いたらEvernoteで整理、というパターンです。
 
いまだって、2019年2月1日金曜日アジアカップ勝戦を見ながらメモった
「森保 メモ帳ない。なぜ?」
を見ながら書いてます。
 
 
 
森保監督は試合中いっぱいメモをしています。中継で抜かれるとだいたいがメモの真っ最中です。
私が中継ディレクターだったら、俯瞰カメラズームしろ!と指示するのに、国際映像は気が利かない。
 
 
 
 
「スイッチ達人インタビュー」という番組があります。
ずっと以前に映画監督:西川美和いきものがかり水野良樹の対談がありました。
 
西川さんはずっと大判のノートを手元に置いていて、対談の途中、何度もなにかを書き込んでいました。
 
これこそ「そのメモ、いまなに書きました?」
番組中ずっと気になっていました。
 
対談相手の水野良樹さんもそうだったらしく、番組の最後に西川さんに尋ねました。
 
「西川さん、そのノート、なにメモしてたんです?」
 
すると西川さんは、こう答えました。
 
 
 
 
「ノートは武装。優位性を持てる。カメラも一緒」と。
 

 

 
 
 
 
 
武装。武器。優位性。
 
 
 
 
試合中の課題や改善点の記録だけでなく、森保監督のメモにはあらゆる武器が兼ね備えもつ、抑止・統率・掌握・監視のような役目があるのかもしれません。
 
ピッチ上で選手がなにかやらかした時、ちらっと監督を見ると、メモをしている。
「あ、メモってる、なんだろ。オレのさっきのプレイのことだな、いかんいかん」と、自己反省を促す、そんな作用を無意識に生み出しているとしたら非常に有効的な武器使用です。
 
 
 
 
そんなノート・メモの隠し持つ効力は、実は自分も仕事で使っています。
仕事でインタビューをする時、ノート片手に臨みます。
インタビュー相手の情報や質問項目を確認するってのもありますが、インタビューは一問一答ではなくキャッチボールですから、あまり参考にはしません。
 
 
この場合のノート・メモの役割は、忘れないように書く、ではなく、書いている姿を相手にしっかりと見せる、ということなのです。
書く内容はなんだってOK.
ちょっとしたキーワードだけでもよく、意味もなく経過時間(あとで録画を探しやすくするため)をメモるだけでもいいのです。
そしてさらに、そこを二重丸で囲んだりするとより効果的です。
 
 
大きく頷き、メモを取り、さらに二重丸で囲んだりもしたら、きっと相手はこう思うでしょう。
 
「お、いまメモした。話したことが刺さったのかな」
「二重丸でぐりぐりしたぞ。この話、重要ととらえたのかな」
 
 
言葉で「今の話もう少し詳しく教えていただけますか」と尋ねるのもいいけど、関心があるというアクションと表情と、そして、メモは、話を進め、より深めてくれるのです。
 
相手を倒す道具だけが武器ではなく、自分の望むべき方向へ導くもの、それも武器なのです。
 
 
 
 
 
 
しかし最近思うのです。
この武器はアナログだから効力を発揮できることができるのか。
デジタルだったら、どうなんだろうと。
 
私個人のメモは今ほとんどがスマホのメモアプリです。紙からデジタルへ移行しています。カテゴライズできるし後から検索だってできるから便利です。
 
 
 
でももし、森保監督のメモがスマホだったら。
目的は同じだけどどう見られるのだろう。
「なに試合中にスマホいじってんだよ。(だから負けるんだ)」とか、本質とは別の部分でもなにか言われてしまう空気が、まだまだ、残っているような気もします。
 
 
 
 
インタビューでも、インタビュアーがスマホ片手にスマホいじりながら質問してたら、相手によっては話もしてくれません。
 
 
いじってる。なんですよね、まだ。
 
 
スマホの多機能は使う分にはホント便利でもういまさら手放せない。
でも対面する人が使っているスマホには素直になれないところが(どこか)あります。
 
メモ・ノートならメモしてるって一目瞭然。
本なら本読んでるってわかる。
 
だってスマホいじってる姿だけじゃ、なにやってんのかわからない。
メモ?誰かとメッセージ?検索?SNS見てる?
コミュニケーションを遮断されているフラストレーションがどこかに感じてしまいます。
 
 
 
森保一監督だってスマホ持ってたら、
「南野って春日に似てるな。これからトゥースって呼ぼう」
中東の笛もいやだけど、中東の笛太鼓はもっといやだ」
とか書いてるかも、と想像させてしまう隙間があったりして。

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この感覚は、アナログ時代が長かった世代だからなのか、それとも人間心理としてどの世代も感じることなのかはわかりません。
年齢差世代差ではなく個人差なのかもしれません。
 
 
 
でも、確実に、ゆるやかに、いつしか、変わっていくんでしょうね。
 
 
 
フジテレビ系(BSフジ)で不定期に放送されている「タイポライターズ〜物書きの世界」という番組があります。
又吉直樹さんと、アイドルであり作家でもある加藤シゲアキさんが司会を務め、毎回小説家など作家をゲストに迎える番組です。
 
この番組のなかで、加藤シゲアキさんはタブレットを手に質問したりしています。
 
もう終わっちゃいましたが「又吉直樹のオイコノミア」でも、経済学者の大竹文雄さんはタブレット見ながら番組を進行していました。
他にも最近多くの番組ではタブレット見ながらの進行が目立ってきました。
 
 
 
 
目的・用途は同じでもツールは確実に変わってきていて、過渡期の今は「なんとなく」相手や状況で使い分けをしている印象があります。
 
でも、絶対的には流れは多数派へとなびいていくであろうし、それが当たり前になっていくのでしょう。
 
バレーボールのコーチ陣がタブレット持って指示しているのだってもう当たり前の風景だし。
 
 
 
ノートは武装。優位性を持てる。
これはとてもよくわかります。
 
 
それを考えるとスマホは、最強の武装
スマホひとつ持ってれば仕事も遊びも暇つぶしも覆い隠せちゃうわけですから。
 
えらい武器を手にしてしまいました。
 
 
そうそう、最近ヘッドホンもある種武装のような気もします。
「話しかけんなよ」とオーラを発しているようなそんな感じ。

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もう遮断されてしまったら、戦う気も起きません。
 

 

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