映画「ひろしま」の衝撃がいまだ残る2019年の夏

 
なんともすごい映画を見てしまった。
 
テーマというものを、愛だの恋だの青春だのに包んでどうぞ探してくださいというようにエンタメ性を高めた映画を見慣れている身としては、かなりこたえました。
 
 
 
これ以上はない直球、どストレートです。
 
 
原爆症で「体がだるい」という同級生に
「夏は誰だってだるいんだ。原爆症だからって甘えるんじゃない」のセリフ。
 
高校生たちが「有色人種だからモルモットにされたんだ」と話し合うシーン。
 
「原爆です。今後75年、広島に生物は住めない」という学者に「それはアメリカの謀略だ。まだ日本人は知らない。我々臣民は勝つ!」と返す軍。
 
「ピカの土産だ」と瓦礫を観光客に売りつける(堂々とタバコを吸う)孤児たち。
 
パチンコ玉を手にした青年に「その玉がまたいつか大砲の弾になるんじゃろ」と嘆く女性。
 
そしてなんといってもラスト。
広島市民の大行進。
にダブるもうひとつの行進。
 
 
 
大体において、どんなに感動した映画でも、エンドマークが出て5分も経てば次なる日常に埋もれて忘れていくのですが、
ひろしま」は、いまだ澱のように胸の奥に「なにか」がとどまり続けています。
 
 
はぁ。
なんだか歴史って、アナログ時計のように、ひとつの円環のなかをぐるぐるぐるぐる回っていて、針は定期的に同じような「もの」「こと」「出来事」「考え方」を繰り返し指し続けるんだなぁと。
 
 
未見の方はぜひ再放送リクエストを。