最後の「、」が大事 な「バリバラ愛の不自由、」の前にあいちトリエンナーレに行ってきた

とりあえず芸文だけだけど、やっと行けた「あいちトリエンナーレ
いろいろとご意見あるでしょうが個人的に今回のあいトリは非常におもしろい。

f:id:ume_tubu:20190823222314j:plain

f:id:ume_tubu:20190823222322j:plain

f:id:ume_tubu:20190823222327j:plain

 
多くの人は、美や教養や感動や高尚を求めて「美術展」に足を運ぶわけですが、それはまあ「美」術ですから納得です。
 
 
でも、「アート」となるとですね、思いがけないものに遭遇させられてしまう衝撃のような、刺激のようなものを期待するところもあります。
自分の場合それは、今までの自分と向き合わされる「無知との出会い」みたいなものです。
 
 
 
世の中にはまだまだ知らないことがいっぱいあって、
同時に、
知ってるつもりでも一面からしか見ていないものもあって、
それらを違う側面から見せてもらうとそれもまた「無知との出会い」となって
知ってることがより深まって確信する場合も、
それは違うと自分の考えが強まる場合も、
ああそういう見方もあるのかと別の角度から考えるきっかけとなる場合もあります。
 
美術展ではないあいトリで、そういう機会がいくつか失われていたのは少し残念です。
 
 
 
 
 
と、そんななか
バリバラが24時間テレビの裏でまたやります。
 
テーマは、恋愛とセックスで、タイトルが「愛の不自由、」ときた。
 
 
 
一部本放送で見たものもあるようで、例えばこんな「愛のカタチ」が紹介されます。
 
 
介護者の助けがなければデートも触れ合いもセックスもできない筋ジスのふたり。
 
結婚したあとに夫が女性になって、その女性になった夫に一目惚れした男性がいて、女性になった夫と男性は恋人同士になり、それでも元男性だった夫の奥さんも当然いるわけで(う?あってるか?)、そんな3人の愛の形も出てきます。
 
 
 
 
まだまだ知らないことがいっぱいあって、
その中には知りたいけれど面と向かって尋ねることが憚れたり、
触れないほうがいいだろうと遠慮してしまうものもあります。
 
 
反面、もっと知ってもらいたいとさらけ出してくれる人もいます。
かなりの覚悟と勇気が必要だと思います。
 
でも、そんなふうに覚悟や勇気を思い浮かべてしまうのは、自分は別にさらけ出したり訴えたりする必要のない、どちらかといえば「自由」な立場にいるからなのかもしれません。
 
 
 
 
 
自分たちの愛が「不自由」だから「知ってもらいたい」とテレビに出る。
「地球じゃなく、私を救う愛が欲しい」と叫ぶ。
 
 
ああ、これも「表現」なんだ。
 
 
 
Chim↑Pomのエリィが出るっていうのが楽しみ。