「東京ブラックホール」と合わせ観るべし「いだてん」最終章

「○○を知らないなんて人生半分損してる!」
なんていうセリフがあって、自分が言われるのはイヤだけど、他人に対しては臆面もなく言うのだ。
 
「今年!2019年に『いだてん』を見ていないなんて人生半分以上損してる!」
そう、違う、そう。
 
クドカンがこの台本を書いたのがおそらく去年(2018)から今年(2019)にかけてであろうことを想像すると、ここ最近のごたごたを予想していたのか!となるが、違う、そう、違う、
そう、ただ1964年まわりの史実に基づき再現しただけなのだ。
 
 
「国民のオリンピックとおっしゃいましたな。だったら渋滞なんとかしてくれよ、国民の生活もっと豊かにしてくれよ。国民の一人一人が俺のオリンピックと思えるように盛り上げてくれよ先生方!功名心で組織委員会に名を連ね、記者が集まる公開討論にしか顔を出さん。そんな役立たずの役人や、政治家は出てってくれ」
 
 
11月3日放送の名セリフのひとつ↑、この<渋滞>を今現在を取り巻くいくつかの単語に置き換えればさらっと2019に通用してしまう。
つまり、
なにも変わっちゃいない、今も昔も。
アレ(利権)やコレ(功名)やナニ(隠蔽)は、インフルエンザウイルスのように巧みに型を変えてあいも変わらず潜伏し続けている。
 
 
しかも厄介なのは、声の出どころや対象が広がってしまったこと。
頭を下げてお願いしたわけでもない札幌に対して「辞退すべき」「泥棒」「なんもないコース」なんてどうしてディスれるの?とんだとばっちり。
 
 
最初「いだてん」は、来年のオリンピックに向け、機運を高めるためのオリンピック礼賛ドラマだと単純に思っていた。ところが続けて見ているととんでもない、一種の警告ドラマの様相で、さあ、来年(2020)は冷静になろうよ、と呼びかけているように思えてくる。
 
 
歴史はくり返し、1964と2020が同じような展開をみせるとなると必ず起こるであろう予想、というか、確信があります。
 
年が明け、夏が近づき、オリンピックがはじまると、必ず盛り上がるのだ。
 
今こうしてアレがナニしてと言っている自分もテレビに釘付けとなってしまうのだ。
 
メダルラッシュに大興奮となってしまうのだ。
 
そして、今のこのごたごたも「そういえばそんなのあったなぁ」と記憶が上書きされていく。
 
日本中が盛り上がっている最中、「そうはいっても、開催前の問題やごたごたを忘れちゃいけないですよ」と誰かが語りだすと、「もういいじゃん盛り上がってんだからいまさらそんなこと言っても。水さすなよ」と空気を読まない人間として認定されてしまうのだ。
さあ、どうしよう。
 
 

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クドカンを始め、「いだてん」制作スタッフは、10月に放送されたNHKスペシャル「東京ブラックホール 破壊と創造の1964」制作スタッフと情報交換意見交換をしているに違いない。

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