小室哲哉会見全文を読んで、不倫を超えて考えよう

全盛期の90年代、彼と彼のファミリーといわれる人たちの音楽は、テレビや喫茶店、ラジオのヒットランキングのなかでしか触れ合わない、そんな存在の音楽でした。
正直あのサウンドの良さが分かりませんでした。
だから、ファンの人には申し訳ないですが、引退しても、自分の人生には特に影響もなく、あ、そうなの、が本音です。
 
でも、なぜか気になって会見の全文を読んでみました(テレビやYouTubeは見ていない)

 

ニュースの見出しだけ見ると、また不倫かよ、不倫ぐらいで引退するなよ、でしたが、全文を読んでみると単なる不倫謝罪会見を超えた深いものがありました。

 
 
介護の現実、弱音を吐き出すことが許される場所や人を求めざるを得ない弱さ、時代と年齢のギャップ、才能の枯渇、ヒットが生まれない焦り、そして男性機能の告白まで触れていて、遅ればせながらはじめて、小室哲哉という人の凄さ、というか潔さ、というか強さを知った気がします。
 
 
なによりも切ないのは、不倫を「報道された」ではなく「報道していただいた」のような言い回しもあることです。
そこには大きなもの(著名・期待と介護という現実)を背負わざるを得なかった者の<人知れず>を解放できた、「安堵」にも似たニュアンスも感じられて、なんか辛い。
 
 
最後の挨拶で「僕たった一人の人間の言動などぜんぜん、日本であったり、社会が動くとはまったく思ってませんが」と語っていますが、いや、動くでしょう、動かなきゃダメでしょ、日本。

 

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介け合い戦記 介護社会の現実

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