お調子者が世界をつくる

いつだったか誰だったかのFacebookのタイムライン上に、生牡蠣の写真と「生牡蠣うめぇ〜」てな記事があがっていました。
思わず舌なめずりをしてしまうそのシズルに誘われコメント欄をクリックしてみたら、こんなコメントがありました。
 
 
「わたしは◯◯勤務なので生牡蠣禁止令が会社からでていまーす」(◯◯はいわゆるサービス業を当てはめていただければいいです)
 
 
 
 
なるほど。禁じられた美食なるものが大人にはあるんだ。
就活生は給料や休日や働き方ばかりに気を取られていると、「聞いてないよ〜」となるからよく調べないといけません。重要です。
 
 
 
 
 
以前、陶芸家に密着するドキュメント番組をレギュラーでやっていました。
 
ある陶芸家を担当したときのことです。
彼は土にこだわっていました。購入した土を使って作品を作るのではなく、理想の土を探し求めて近隣の山々に出かけるのです。
 
 
その採掘に同行しました。
 
小高い山の斜面にスコップを突きつけ、土を掘り出していきます。ひとかたまりを手のひらでこね、彼は満足気です。
 
「うん、いい土だ」と。
 
 
この陶芸家、なかなかにサービス精神豊かで、土を愛でる様子も芝居がかっています。いい絵になりそうです。
 
芝居はリアクションによってさらに輝きを増します。増してやろうと、私は問いかけます。
 
「いい土ですか?」
彼は絶妙にカメラの方角に顔を向け、手の中の土と顔を同時にフレームに収められるよう持ち上げ言いました。
 
「いいね、粘り気があってて適度に鉄分もある」
手にしただけでわかるんかい。
 
 
 
わかるんですね。
この場所ははじめてきた場所なんかじゃなく、普段から採掘して使っている土の現場ですから。
もうどんな土であるかは充分承知です。
(念のため言いますが、これは「やらせ」なんかじゃなく「再現」ですから)
 
 
 
さらに彼のサービスは続きます。
 
彼はおもむろに、手にした土のかたまりを口になかに入れました。もぐもぐと味わいながら「うん、いい土だ」と頷くではありませんか。
すばらしい。
 
 
彼は陶芸界では誰もが名前を知っている有名な作家で、テレビ慣れもしています。どんなシーンが求められているかも、経験上知っているのでしょう。
心のなかで(ありがとうございます)とつぶやきました。
 
 
 
 
ここで終わればよかったのでした。
サービスにはサービスを。
何かをしてもらった時はお返しをしないと申し訳ない感情になるという「返報性の原理」が働いてしまいました。
 
 
 
 
私も土をひとつまみ手にし、ぽいと口に放り込んでしまったのです。
 
 
まずい。
てか、味はない。
 
 
細かな砂の粒が舌の上に広がっていきます。
 
 
まずい。
 
 
ねばねばした固まりが唾液のなかで溶けていきます。
 
 
まずい。
 
 
 
自転車で走っていて口を開けた瞬間、小さな虫が飛び込んでくることがあります。その虫の集団が狙いを定めたように一斉に流れ込んできたかのような感覚です。
 
顔をしかめ陶芸家の方を見ると、彼は(こいつバカか)のような顔で笑っています。
 
 
 
 
 
 
土を食べた場合、最悪10億匹/gという大腸菌が胃腸に穴を開けると後から知りました。
 
食べてません。
口に含んだだけです。
ぺっぺっと吐き出しました。
 
ン十年経ったいまのところなにもないからもう大丈夫です。多分。
 
 
 
 
生牡蠣禁止!のように社命があったなら、土なんか口にしなかったでしょう。
 
でもフリーランスに社命などありはしない。そのぶん自ら律しないと取り返しのつかないことになりかねません。
 
多分大丈夫だろう。自分だけは。が一番危険です。
 
 
 
 
「調子」というやつの危険性に、どうも人間は鈍感な生物のようです。
 
調子というやつは、「空気」というものと一緒にまとわりついてくるようです。
 
 
 
 
海外に行ったときも、開放感の浮かれ気分がそうさせるのか、危ない危ないと思いながらも、スキをついてあいつらは襲ってきます。
 
以前行ったエジプトではパンツとジーパンを再起不能にするほどのダイナミックな下痢に遭遇し、そのあと行ったインドネシアからは輸入禁止生物(赤痢)を体内に入れ帰国し隔離病棟に強制連行されました。
 
これ、すべて、「調子に乗る」っていうやつの仕業です。
 
 
 
パラハラもセクハラも裏口入学も不正入試も不正審判も不倫もこれみんな、「調子にのった」結果ともいえるでしょう。
 
 
でも、「調子」はなくならないだろうな。
 
 
調子にのった人たちがいることで、世界は(自分と関係なければ)おもしろいし、文学も生まれたし、なによりも生牡蠣やフグを美味しく食べられるんだから。
 
 
ああ、世界は調子にのった人たちの犠牲のうえに成り立っている。ありがとう。