池谷友秀写真展「BREATH」でアンコントロールされてしまった

名古屋は<黄金4422bld.>で開催されていた池谷友秀写真展「BREATH」を観てきました。
 
 
漆黒の水中で(静止しているのになぜか)肉体の躍動を感じてしまうその写真の数々に接し、まず思い出してしまったのが、黒澤明の雨。
 
 
黒澤明(というか撮影監督の宮川一夫)は、雨に墨汁を混ぜ、透明な雨にダイナミックな表情を与えたとか。
たしかに「羅生門」「七人の侍」で描き出された雨は強烈で、ただの自然現象なのにスクリーンで堂々と主張されることで忘れられない効果となって記憶に留まっています。
 
雨に対しても演出という形でコントロールしてしまったのですね。
 
 
 

TOMOHIDE IKEYA・池谷友秀

は自らの作品について、「コントロール」をテーマに制作していると語っています。
 
私は「コントロール」をテーマに作品を制作している。
どんなに清浄なものを作ったとしても、必ずどこかに汚濁がある。
それが人間の一部であるからだ。
でも、だからこそ、面白い。
 
私の作品は、計算された偶然から生まれる。

そこには、計算という一種のコントロールと、その反対に、コントロール不可能な偶然性が不可欠なのだ。
そして、この二つが揃ってこそ、人のこころを動かせるものが生まれると思っている。 

 

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このコトバを知り、作品を見ると、
「コントール」と「アンコントロール」が頭の中を行ったり来たりしてきて、
制作意図で語られている「二つが揃ってこそ、人のこころを動かせるものが生まれる」にまんまとやられてしまいました。


漆黒にコントロールされた黒い水。
肉体の躍動を常としている人間(ダンサー)をアンコントロールな環境に送り込み、
さらには自由な呼吸をもアンコントロールにさせ、
カメラでコントールして瞬間を捉える。
 
なんとも企みに満ちた狡猾な(もちろんいい意味で)写真の数々。やられました。
 
 
 
しかしこの黒は、圧倒的な黒。上下左右奥行きを捨て去った黒。星々のスイッチを一斉にOFFにしたかのような黒。
 
この黒の圧倒的な迫力があるからこそ、ほのかに浮かぶ肉体の、筋肉や骨の存在が強烈な印象となって迫ってくる。
しかも、まさにアンコントロールな水泡が、一瞬たりとも同じ形をしていない水泡が、美しすぎる。
 
 
 
黄金4422bld.の写真が飾られている空間には、
重力も空気も光もあるのに
自在に動かせる手足もあるのに
息が止められ、手足も見えないパワーに縛られ、
たちまちのうちにアンコントロールされてしまった。
  

"BREATH" Mimoza Koike & Ryuzo Shinomiya Director Cut CC_new from Tomohide Ikeya on Vimeo.

 
 
正直、池谷友秀という写真家は知りませんでした。
たまたま妻に誘われ、誰それ?という感じで足を運びました。
 
そして偶然の出会い。
 
こうした素晴らしい作品とも、コントロール不可能な偶然から生まれるから面白い。
 
 
 
勝手なお願いだけど、池谷友秀にはつぎ是非とも撮ってもらいたいテーマがあります。
 
陰翳のなかに美を見出した谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」
 
水中という舞台を日本家屋に移すと、どんなアンコントロールな美が生まれるんだろう。観てみたい。
 

 

BREATH: Beginning 2008~2009

BREATH: Beginning 2008~2009

 
陰翳礼讃 (中公文庫)

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