ときには「これもあるかも」を考えてみよう

2日前?3日前?CMにおける【これもあり】を書きました。
人間の記憶っていうのは優れてるもので、たしかにシナプスに電気信号は走るものなんですね。
前回とは別の角度からの【これもあり】を思い出してしまったのです。
 
 
 
広告に登場する人たちは、基本みな悩み事などなく、明るく朗らかに生きています。その現れが笑顔です。
 
そうして生まれた笑顔が、でも、視る人によっては辛くのしかかってくるケースもあるんだな、というのを知りました。
 
 
2年ほど前に見たNHKスペシャルです。
子どもたちの相対的貧困を扱った番組「見えない貧困 未来を奪われる子どもたち」
 
いくつかのケースが紹介されていて、そのなかのひとり、女子高生のコトバです。
大学に行きたいが、家計が厳しい。奨学金(ローン)を借りなくては(大学に)行けない。
 
そんな彼女の目の前にあるのは、国の教育ローンのパンフレット(ポスター)。
高校生役のモデルの笑顔がまぶしく映っています。
それをみて彼女はつぶやきます。
 
 
 
「なに笑ってんねん。夢ちりばめている感じするけど、笑ってる場合じゃないんですよ、これを借りるってことは」
「金降ってこーい」
 

f:id:ume_tubu:20190124195030p:plain

f:id:ume_tubu:20190124195052p:plain

f:id:ume_tubu:20190124195113p:plain

f:id:ume_tubu:20190124195121p:plain


広告のなかで描かれている笑顔は、その笑顔が眩しいほど、ある人にとっては対比のかたちで残酷に突き刺さってきます。
 
 
お金を貸しますよ、と笑顔で語りかけられても、借りる側はそのまんま受け取ることなんでできなく、
だからといって、作り手は広告のなかで「ほんとにいいのかしら」なんて思い迷った表情はさせられない。あくまで利用することが幸せにつながる、とします。
 
 
でも、誰しもわかってはいます。
 
「これ借りるってことは、笑ってる場合じゃない」ってことを。
 
 
でも、やはり、そこは。
 
 
 
 
 
 
別にこの話、だからどうしろこうしよう、っていう結論的なものはなく、【それもあるかも】
ただそれだけです。
 
 
 
 
さあ、アジアカップ準々決勝。
ベトナムには勝つでしょう。負けないでしょう。
 
いや、油断していると…
それもあるかも。

 

高校生ワーキングプア:「見えない貧困」の真実

高校生ワーキングプア:「見えない貧困」の真実