小心者にとって平成から令和は絶好の変わるチャンス

令和へのカウントダウンがはじまっています。
その日まで<何者>にも襲われなければ、昭和ー平成ー令和と、3時代を生きていく男となってしまう。
若い頃は、「あの人明治生まれ」と聞くだけでその人は歴史上の人物に思えてしまってそれだけ昭和の時代は長かった。なんたって歴代元号ロングランNo.1らしいですから、昭和は。
 
 
そんな長い昭和のなかで昭和以外を知らずにランドセルを背負い、学生服を着、早々に襟元からカラーを捨て去り、内ポケットにセブンスターを忍ばせ、受験をし、浪人をし、自主映画にのめり込み、留年し、社会に出たから気にもしなかったけれども、途中に改元なんてことがあったら「なんだよ改元って」「元号なんかいらないじゃん」「もー西暦に統一しようぜ」と面倒くさがっていたにちがいない。
 
 
そんなところがどっこいも、平成から令和へのリセット・チェンジが楽しみになってきました。
「区切り」ってのと縁遠くなってきているからです。
 
 
就活中のドロドロを鋭く書いている「何者」のなかで、朝井リョウがこんなこと書いてます。
 
大学を卒業し就職することは「最後の改名」だと。
 
 
「今までみたいに、自然に名前が変わることってないんだなって思っちゃてさー。終業式が終わったら次は二学期、卒業式が終われば中学生、部活を引退したら受験生、みたいなのがさ、今まではあったわけじゃん、ずっと」
 
「俺たちって今までそうやって、自動的に区切られてきたわけじゃん?小学校入って六年経てば中学生って名前に変わって、三年経ったら高校生って名前になって。でもこれからは、自分でそれをしていくしかないんだなってことなのよ」
 
「例えば結婚とか、子どもができたとか、転職とか?何でもいいんだけど、これからは、もう自分で動かないと自分の名前って変わんないのかとか、いきなり思っちゃたんだよな。俺、これから何もしなかったら、今の俺のままじゃん、これから先ずーと」

 

 
たしかに人生はいろいろな区切りのなかでリセットしたりリスタートしたりと流れてきました。
でももうそんな区切りとかなり縁遠くなってきています。
正月とか誕生日じゃ弱い、年号や年齢が変わるだけで本質はなにも変わりゃしない。
 
 
 
「俺、これから何もしなかったら、今の俺のままじゃん、これから先ずーと」
 
 
と変わりたいけれど変われない不安を抱えている小心者には、強引で有無を言わせない強烈な「区切り」ってのが必要です。
昭和から平成のときは、崩御が伴っていたからどこか「さようなら昭和」って感じで前向きじゃなかったけれど、今回はちがいます。
 
「こんにちは令和」「Welcome REIWA」「よろしく令和」
 
とりあえず改元初日5月1日は某飲み会でコスプレをするのだ。

 

何者

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