世の中には2種類の人間がいます。
「なにこれ?」と見向きもしない人の、2種類が。
「Eテレ」と、その名称を変える前の教育テレビの教育番組は、かつてこんな風でした。
白いホリゾントにブルーフィルター越しの照明を当てた、少し濁り目の背景のなか、黒板もしくはホワイトボードだけがあるシンプルなスタジオセット。
講師と案内役の女性が予定調和な質疑応答を繰り返しながら学校指導要綱に基づく授業を進めていく。
教育テレビがこのスタイルで教育番組を展開しているのをよそに、民間の進学塾は、「今でしょ」「こんなものやれば誰でもできる」と名言を発する名物講師を揃えた戦略で着実に教育業界で地位を固めていった。
教育テレビの映像授業は古臭い。面白くない。見る気もしない。
教育テレビの教育番組は、こうして「学ぶ」という生存競争から置いてきぼりを食ってきたのです。
しかし令和を迎えると、ちょいとちがう。教育番組は、したたかな生存戦略を携え帰ってきたのです。
パパやママがむかし着ていた服を子どもたちが「カワイイ」「カッケー」とアレンジして楽しむように、
昭和時代のヒット曲がカバーという形で再び口ずさまれるように、
その内容は極めて真面目。理科の教科書に載っているような内容であることは変わりません。
そう、「なにを言うか」は変わらない。
しかし「誰が言うか」「どう言うか」が大きく異なります。
そこに「山田孝之」という人物が加わるとこうなるのだ。
そこに、早く・手短に・テンポよくという風潮に逆らうような、かつて小津安二郎の映画にあったような不可思議な会話の間が加わるとこうなるのだ。
なによりも優れているのは「巧みな比喩」
オオイヌノフグリでは、合コンに早めに行くか遅れていくか、男性の上にのる林田さんの不安定さで例えて、ああ、人間と同じだと思わせている。
おかしな比喩と同時に記憶に刻まれて、これでもう試験に出ても、山田孝之の顔と林田さんのちょっと眠そうな眼差しとシュールな絵柄からの連想で100点満点まちがいなし。
ある日、NHKEテレで○時から「植物の生存戦略」という番組が放映されるという情報に接する。
でもそこに「話す人・山田孝之」という1文が加わることで「おや?」「なんだろ?」と一歩近づいていく。
そして実際に見て「なんだこれ!」とぶったまげる。
さらにこうした文章を書かせてしまう。
「やられた!」と叫ぶことが楽しくて仕方がない。
かつて昭和の90年代深夜、こっそりと放映されていた名作「カノッサの屈辱」と再び出会ったような衝撃がそこにはありました。
再放送は本日というか明日5月5日午前0時30分から。
世の中には2種類の人間がいます。さあ、どっち?