ちょうど読み終えたタイミングで何気なくTwitterを眺めていたら、こんなTLに出会いました。
「82年生まれ、キム・ジヨン」とは全く関係のないつぶやきだけど、(うん、こういうことなんだよな)と、この小説が支持される訳に納得しました。
言語化といってもそれは文章に限るものではなく、
例えば身近な人に相談するとか然るべき場に訴えるとか仲間を募るとかもそうで、自分のやり方であるならなんだっていい。そう解釈しています。
一冊の本で簡単に世の中が変わるってことはないだろうけど、
この小説に出会って「絶望」や「怒り」を自分の経験を通じて改めて見つめ直した女性ひとりひとりが、自分のやり方で今後少しずつ言語化し始めたら、小さくともゆるやかでも、確実に空気は変わっていくだろうな、との予感を感じました。
そうして生まれた時代の空気というのはやはり力強くて、昔だったら平気で口にしていたことも「もしかしてセクハラになっちゃうかも」「こういうのってパワハラかも」と踏みとどまらせる作用を持つものへと変えていく。
自分ではそんなつもりじゃない、という言動もひょっとしたら誰かにとってはパワハラだったりセクハラだったかもしれない、そうだったかも、と思い当たることいっぱいあるし、そういう言動をしてきた人も周りにはたくさんいた。
だいたいにおいてそういう言動は自分よりも立場の弱い人〜部下や後輩に向けていたし、あと(今思えばねじれた勘違い)その場を和ませる道具として許されるものと思い込んでいた節も実はあって、なんだかこうして広く言語化された今思い起こすと、とても恥ずかしくなってくる。
この小説は、韓国でも日本でも多くの女性に支持されているけれど、もしかしたら一番読むべきは男性なのかもしれない。
主人公キム・ジヨンの人生のところどころで登場してきた男性のどこかに、必ず<自分>を見つけてしまうのだから。
この中の↓
「私は詩人じゃなかったら「娼婦」になっていたのか?」に出てくる男性陣は、同性としても、情けないほど<昔は良かったけど今だダメ>と【今】に文句を言う人