「ゴリラ脱走!」日本モンキーセンターのゴリラ訓練の注目度をなんとかしたい

愛知県犬山市にサル類専門の「日本モンキーセンター」という動物園があります。

 

その日本モンキーセンターで、2000年8月ゴリラが檻から抜け出し来園者に怪我を追わせるという事故が起きました。

以来年2回(だと思う)、日本モンキーセンターでは職員らによるゴリラ捕獲訓練が行われています。

 

 

その訓練を紹介する新聞記事を中日新聞でときおり見かけます。

小さな小さな地方版にしか載っていない(だろう)微笑ましい記事ですが、気になりスクラップをするようになりました。

 

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1枚目と2枚目は、記事掲載日をメモするの忘れてしまったのでいつなのかは不明ですが、

 

3枚目は2015年12月

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4枚目は2017年11月です。

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毎年定期的に行われるゴリラ捕獲訓練ですので、記事内容はほとんど同じです。

 

でも、毎回の記事を読み比べてみると、取材した記者によって記述に微差が垣間見られ、なかなかにおもしろいものがあります。

 

 

 

まずはゴリラの種類。

1枚目では、ゴリラはあっさりと「ゴリラ」です。

 

日本モンキーセンター側の想定そのままなのか、記者の取材不足なのか、それはわかりません。

ただあまりにも淡白で、それはまるで味付けを怠った白身魚のように素人感が漂っています。

 

 

 

一転して2枚目3枚目は具体的です。

 

2枚目がニシゴリラ、

3枚目ではニシローランドゴリラとなっています。

 

名前なんてどうだっていい?そんなことはありません。

 

映画「シンゴジラ」で、巨大不明生物だった相手を「ゴジラ」と名付けた時からリアリティがぐんと増したことからわかるように、名前はとても大切です。

 

 

 

誰が言ったのか忘れましたが、誰かがこんなこと言っています。

 

 

【虎という名前がつく以前の虎は、今よりもはるかに恐ろしいものだっただろう】
 

 

 

 

 

そうです、単なる「ゴリラ」よりも「ニシゴリラ」「ニシローランドゴリラ」と対象を明確にすることで、相手の特性や生態にあわせた傾向と対策が練られ、捕獲作戦の精密度が深まってくるのです。

毎年繰り返される捕獲訓練の真剣度を増すために、日本モンキーセンターはしっかりと学名(種?属?)を与えたものと思われます。

 

 

 

 

 

ところがですね、4枚目を見ると、また「ゴリラ」に戻っています。

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しかも、固有名詞も出てますね。「タロウ」です。

タロウとは、2000年に檻から逃げ出したゴリラの名前で、あれから17年も経つのに、いまさら名前を晒すなんて可哀想だなぁ。

タロウだって十分に反省しているでしょうしね。

 

 

 

 

 

 

 

このように同じ内容のものでも記述にどんな変化が現れるかを統計的に見てみると、他にもいくつかの変化が見られます。

 

 

 

記事の写真からはわかりにくいですが、おそらく毎回同じ着ぐるみが使用されています。

ゴリラの中の人はいつも同じかどうかは知りません。

でも、想定するゴリラのスペックは変えています。

 

 

 

それはそう、体重。

1枚目は200キロ、2枚目180キロ、3枚目は150キロと減少しています。

 

なぜでしょう。食糧事情?ダイエット?

現実の「タロウ」の体重変化に合わせて?

 

わかりません。

 

 

 

それぞれの体重を、例えば力士にたとえてみてみましょう。

 

200キロは逸ノ城魁聖クラス。

180キロは友風、高安クラス。

150キロは遠藤、竜電クラス。

 

テレビで見る力士らの巨体を思い浮かべると、ゴリラというものの脅威を実感を伴って感じ入ることができます。

 

 

 

しかし悲しかなそれはあくまでも想定。

 

写真を見る限り、どの(着ぐるみ)ゴリラも力士体型とは程遠くスリムで、この点に関しては少し詰めが甘いのでは、とつっこまざるを得ません。

 

 

捕獲にあたる職員も、「このゴリラの体重は200キロ200キロ」と頭のなかで言い聞かせて臨んでも、眼の前にいる相手の体重はどう見たって60キロ70キロあたり。

無差別級に対するのと、軽量級に対するのとでは戦術も異なりましょう。真剣味にも影響を与えます。

 

このあたりは次回の訓練に際して、対応、改善すべき課題と言わざるを得ません。

 

 

 

 

 

次に捕獲の方法、手順についてみてみます。

 

使用する武器としては、刺股・捕獲ネット・麻酔銃の三点セットは変わりません。

 

 

 

一定箇所に追い詰め、模擬麻酔銃で撃ったことにして(この、ことにしての一文がいかにも想定訓練らしさを描写した文章で、ある意味欠かせません)、ネットをかぶせて捕獲。この戦術は定番です。

 

2000年の事故から20年近く経とうとしているのに、戦術と武器には進化はないようです。

そろそろドローンを使った上空からの捕獲も取り入れてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

一枚目から4枚目まで、名前・体重・捕獲方法について眺めてきたのですが、5枚目の、2018年12月(おそらく)平成最後の捕獲訓練ではかなり大きな変化が表れました。

 

 

2000年に実際にあったゴリラ脱走を機に始まった捕獲訓練なのに、いきなり対象が変わったのです。

 

捕獲対象が、チンパンジーとなったのです。

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想定体重150キロといっているのに何だあれ70キロぐらいじゃないか意味ないだろ!

ゴリラを想定しているのに着ぐるみの人間じゃ動きがぜんぜん違うだろ!

 

 

ここで書いているようなクレームがあったのでしょうか。

それても昨今話題の多様性への対応でしょうか。

 

 

理由を知るため記事を読みすすめても、ただ敏捷なチンパンジーに変わった、としか書いてありません。

私のように、このシリーズを楽しみにしている者にとって一番知りたい部分なのに、これではいけません。

どうせ続けて読んでいる者なんかいないだろうとの判断で記していないのか、それとも大した理由もなくなんとなく、なのか、それとも記者の取材不足なのか。

なにかもやもやが残ります。

 

 

 

 

今回の記事ではチンパンジー役の職員名がはじめて記されています。

 

石田崇斗さん25歳。

 

 

思わぬところで新聞に載ってしまいましたね。家族親戚、友だちに知らせるにはちと迷ってしまう載り方です。ご苦労さまです。

 

 

しかし、こういった細部の具体性よりも、そもそもの問題の原因であるゴリラをなぜチンパンジーに変えたか、という情報のほうが重要だと思うのです。

 

 

 

そもそも2000年にゴリラが脱走したのは、飼育員が檻のドアの操作を誤ったから、とあります。(この情報も4枚目にして初めて明らかとなっています。それ以前の記事では、ただ脱走、としか書いてありません)

 

 

逃げ出したゴリラにしろチンパンジーにしろその捕獲の訓練に力を入れるのは必要ですが、檻の管理、外へ簡単に出れるか出れないかとその要因〜もとから断つ!〜を厳重にしておくことが大切です。

 

 

サル猿の生態のことをよく知りませんが、ゴリラとチンパンジーとでは檻のドアの開き具合によって脱出方法が違うんじゃないですか。力任せに脱出するかぴょんと敏捷に脱出するかとか?

根本の原因から考えるとやはり、訓練対象はゴリラであるべきかと、素人は思ってしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

ゴリラ訓練の記事をこうして5枚並べてみていちばん注目すべきは、文章最後に()書きしてある記者の署名です。

 

 

1枚目は無記名、2枚目は金森篤史、3枚目は田中富隆、4枚目5枚目は三田村泰和となっています。

 

1枚目の記者は誰でしょう。2枚目の金森さんと同じでしょうか。

 

 

1枚目と2枚目を記事を読み比べてみると、文章が同じ箇所がいくつか見られます。

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「ゴリラが脱走したとの想定」の体言止めあたりから、「捕獲した」あたりまでは微妙に変えていますが、構成、単語の選び方がほとんど同じです。

 

同じ記者なのか、既存を参照にしているのか、どうせ単なる地方の情報だから既存の書き写しでいいや、なのかは分かりません。

 

 

 

 

このゴリラ捕獲訓練は、事故の反省を踏まえ、毎年取り組んでいることを市民県民に知らせる、という意味ではモンキーセンターにとってはとても大切で必要なイベントなのでしょう。

毎年モンキーセンターからの「今年もまたやりますんでよろしく」というプレスに従い、記者が足を運び、記事にするのでしょうが、訓練そのものの内容はそうそう変わりません。

 

 

 

 

厳しい入社試験を突破し、晴れて新聞社に入社。

よし、政治!経済!事件!社会問題!

オレの筆でワタシの筆で世界を変えてやるぞ!と意気込む新米記者たち。

 

しかし、そうそう初めから世に問いかけ訴える記事など書かせてもらえることはありません。

 

 

 

 

まず手始めに言い渡されるのは、

日本モンキーセンターへ行ってゴリラ訓練を取材してこい」(なのか?)

 

 

この記事は、新人記者たちがまずは経験する入り口のような取材なのかもしれません。

 

 

 

 

こうしたルーティン的な記事は、事件やオピニオンと違って力が入らず、ついつい前年の記事を参考にしてマスを埋めることになるかもしれませんが、それではもったいない。

 

こういう誰が書いても変わらない記事にこそ個性をにじませてこそ、「お、あいつなかなか面白い文章書くな」となるかもしれないからです。

(どこの誰がこんなふうに読み比べているかもわかりませんからね)

 

 

 

でも、そんな私のお節介はとうぜん皆さんプロですから織り込み済みで、読み比べてみると、ところどころに書き手の個性を感じさせる箇所が垣間見られます。

 

 

 

 

2枚目の見出しに注目してみましょう。

 

【ゴリラ脱走想定、真剣です】

 

 

 

この「真剣です」がポイントです。

 

そうなんです、訓練は真剣にやらなくてはいけません。

 

学校や会社で定期的に行われる避難訓練

皆さん、真剣にやってますか。だらだらとやっていませんでしたか。

火事発生!地震発生!といわれてもへらへらとやっていませんでしたか。

 

いや、もしものことがあるから真剣にやらねばと心に誓っていても、「お前なに真剣にやってんだ」と誰かに揶揄されるのがイヤで、あえてだらだらとカッタルイふりをしてやっていた覚え、ありませんか。私がそうでした。

 

 

 

天災は忘れた頃にやってくる

ゴリラは忘れた頃に襲ってくる

 

 

 

学校や会社での訓練ならばまだいいです。こうして記事になって新聞に載ることありませんから。

 

でも日本モンキーセンターの捕獲訓練はこうして記事になってしまうのです。

へらへらやっていたら2000年に怪我をした来園者は怒ります。近所の人だって安心して暮らしていけません。

だから職員のみなさんは真剣、なのでしょう。

 

 

 

 

しかし悲しいかな、想定体重とは程遠い体格と、ちょっぴり微笑ましい着ぐるみの表情が…。

 

写真を見ると、ゴリラの手には棒のような、バットのようなものが見えます。

 

ゴリラが武器という道具を持つの?と疑問を持ってはいけません。

実際にゴリラは棒を振り回したりはしないでしょうが、これはおそらく危険、獰猛の象徴としての道具でしょう。簡単には近づけない、を別の形で顕すとしたら、の苦肉の策なのでしょう。

 

こうした努力に対して、でも、客観的に読者として見ると、ふっと笑みを浮かべてしまいます。だってこのゴリラ、カワイイじゃん。

 

 

だからこそ!必要なんです!

 

【ゴリラ脱走想定、真剣です】の一文が。

 

 

 

 

2枚目記者の金森さん、1枚目の文章とよく似ていますが、この金森さんの見出しにこそ、そんな世間に対して訴えたいことが込められているような気がします。金森さんの記者魂・個性の顕れです。

 

 

 

3枚目の田中さん。

2枚めの「真剣です」を超えるためにどうすれば、を考えた結果でしょうか、「捕獲せよ!」となっています。

 

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映画のクライマックスの一場面の一番緊迫した瞬間、役所広司演じる園長が発したひと言が、カギ括弧付きのセリフのように切り取られています。

 

いいですね、田中さん。

パニック映画の予告編のようです。

 

 

 

 

 

ここまで来ると次はどんな見出しで楽しませてくれる?と期待したのですが、4枚目5枚目はまったくフツー。単なるインフォメーションに戻ってしまい残念です。

 

4枚目5枚目は同じ著名・三田村泰和さん。

5枚目はゴリラからチンパンジーに変わって、大きな変化が顕れた訓練だから、そこをポイントにすればもっと注目の記事になったのに残念です。

 

 

 

体重150キロから200キロのゴリラに対しても、

敏捷な動きを持つチンパンジーに対しても、

そのどちらに対しても希少なサル類専門動物園である「日本モンキーセンター」は万全な体制で臨み、来園者をお守りしています!と訴えることができたのに。

小さな地方版にしか載らない記事だって「真剣に!」ならないともったいないですよ。

 

 

5枚目に関してはもうひとつ。倒れているチンパンジーの写真が掲載されています。

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ちょっと顔がよくわからないのですが、

このチンパンジーは顔になにか被ってますか?それとも素顔のままですか?

このあたりの写真の精度が甘いかな、と苦言を呈しておきます。

 

 

 

 

 

 

ところで、こうしたゴリラ役はどのように決めているのでしょう。

 

 

 

 

訓練のおよそ一ヶ月前、「ゴリラ会議」なるものが開かれます。

議題はもちろん、<今年のゴリラ役は誰がふさわしいか>

 

自薦?他薦?

それともゴリラひと筋何年といういぶし銀のような人がいたりして?

それとも新人飼育員の通過せざるを得ない儀式?

 

 

 

 

 

どちらにせよ、ゴリラは、身内の職員が演じないほうがいいのではと思います。

毎年参加する職員は段取りを知っています。段取りを知った者がゴリラを演じることは無意味です。

 

どう行動するかどこへ行くか何をするかもわからない予測不能な状況で行わなければ、訓練は予定調和の儀式で終わってしまいます。

 

 

 

 

日本モンキーセンターへ提案があります。

できましたら、このゴリラ訓練をエンタメ化してもっともっとアピールしてはいかがでしょうか。

エンタメ化といっても、もちろん捕獲訓練そのものは例年どおりに真剣です。

 

 

ただゴリラ役が異なります。

身内・職員ではなく、毎回それにふさわしい人物をキャスティングするのです。

 

 

 

プロレスラー。

武井壮

体操選手。

映画の殺陣師。

ごっこの名人。

パルクールの達人。

警察学校の教員。

フェイント巧みなラグビー選手。

怪獣映画の着ぐるみ職人。

などなど。

 

 

 

最初は着ぐるみを被っていますので誰が演じているかはわかりません。

最後、職員らによって捕獲されたあと、着ぐるみを取ると、それは……だったという展開です。

 

 

もちろんこれは閉園日ではなく、開園日にひとつのイベントとして行うのです。

 

 

 

観ている人がいると確実に真剣度が増します。身内と新聞記者だけを相手にしていてはいけません。

 

過去実際にゴリラ脱出があったのは開園日で、来園者が怪我をしました。

同じような状況の、周囲にたくさんの人がいるリアルな状況で行わなければ訓練の意味をなしません。

 

逃げ惑うゴリラだけに注意を払うのではなく、周囲の来園者をどう安全な場所へ誘導するかも同時に訓練しなくては意味がありません。

だからこそ、ゴリラ訓練をひとつのイベントして開催するのです。

 

 

 

回を重ねるにつれ、今年のゴリラ役は誰だろうと話題になり、注目を集めることまちがいなしです。

 

 

訓練はもちろん大切で、真剣に行わなければいけません。

でも、そんな大切な訓練を毎年ずっと続けている、ということを広く知ってもらうことも必要です。

新聞記事だけでは足りません。

 

多くの人に現地に足を運んでもらい、訓練とともにサル類の生態などの解説をしながら訓練を見学してもらう。

 

来園者の方々に逃げ惑うエキストラとして参加をしてもらう。来園者自身も訓練を体験する。

 

 

 

それを繰り返すことで、日本モンキーセンターの存在意義が広く浸透し、また身近な施設としてより親しまれること間違いありません。

 

 

 

消防署の木遣り、まといなどの出初式

岐阜白川郷の防火訓練での一斉放水。

自衛隊の公開演習。

など、

かつては内々での訓練だったものが広く公開されているものがたくさんあります。

 

 

 

取り組みを知ってもらい、

来園者も増え、

話題にもなる。

 

せっかく世界屈指のサル類專門動物園。知られないのはもったいない。

 

日本モンキーセンターでは、野生動物の保全や飼育下動物の幸せ、教育活動のための寄付も募っているようです。

知られていなかったら寄付にまで行動はつながりません。

 

 

今後も同様にゴリラ訓練を行うのであるならば、ご検討いただきたいと願います。

 

 

日本モンキーセンターへのご提案です。

失礼いたしました。

 

 

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地球に生きる神秘的なサル
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