向田邦子の新作が読めない代わりに今村夏子を読む
望んでも願っても悲しいかな、もう新作が読めない作家のベスト1は、向田邦子です。
今日8月22日は彼女の命日。飛行機事故で亡くなって38年ほど経つんですね。
「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ」の頃は、向田邦子という天才の名はほとんど知りまませんでしたが、その後の「阿修羅のごとく」「蛇蝎のごとく」「あ・うん」あたりでは、見終わってしばらく放心状態になるほど震えたものです。
映像として映し出される役者たちの行動や発するセリフを通じて、僕たちは物語の進行を知っていくのだけど、実はそこに描かれていない本心や時間や感情も、またそこには見事に存在していて、ぞっとする。
今、レコードのA面の、ポップで脳天気な明るい曲を聴いているのだけど、B面に収められている、えぐるような問題作を同時に聴かされているような、そんな感覚が向田さんの書くものから感じます。
小説がメインになってからもそれは変わらず、読み終わったあとも「この不穏な余韻の正体はなんだ?どこにある?」と、その手がかりを探ったものです。
最近、こうした向田邦子トーンを感じる小説に出会っています。
今村夏子さんです。
書いてあることだけを追っていけば簡単に読み終わるほどの長さとシンプルな文章だけど、この人の作品もまた、読み終わったあとに「あれ?」となる。
誰のこと?嘘なのホントなの?好きなの嫌いなの?生きてるの死んでるの?現実?妄想?
いやぁすごい人がいる。