あいちトリエンナーレ/袁廣鳴(ユェン・グァンミン)「日常演習」〜日常のなかの非日常。

愛知芸術文化センター8階A19の部屋で、今村洋平の1万回インクを刷って重ねたシルクスクリーンの作品を見ていた。
先程からその展示に似つかわしくないサイレンのような音が漂っている。
 
どこからだ?
 
隣室のA20からのようだ。
暗幕をくぐり、A20に入った。
 
スクリーンがあった。
映し出されているのは、ドローンによる撮影だろうか、どこかの都市の空撮映像だった。
サイレンはこの映像の音だ。
 
 
空撮は都市をどんどんと進んでいく。
ビル街、高速道路、海(川)に架かる橋。
 
 
見始めてすぐに気づく。
その映像には人がいない。車もバスも走っていない。動くものはなにもない。
街に掲げられている看板の文字は漢字。中華圏にある都市だと想像できる。
 
 
ここはどこだ?
なぜ誰もいない?
交通機関はどうなっている?
どういう状況なんだ?
 
 
いろいろな疑問が頭の中でぐるぐると駆け巡っている。
先程から鳴り響いているサイレンがそんな疑問をかき混ぜていく。
 
 
 
5分ほどの映像が終わり、タイトルが出る。
 
「日常演習」
 
 
 
そういえば、展示を解説するキャプションが入口付近にはなかった。
キャプションは、次の部屋に向かう手前、出口にあった。
 
 
キャプションの前に人がいる。熱心に読んでいる。小さく何度か頷いている。
その人のうしろにも、空いたら読もうと人が待っている。
 
その後ろに並んだ。
 
なんて書いてある?
想像はあっているのか?
 
 
 
 
 
あの国では、あの場所では、あの状況は日常なのか、非日常なのか。
それとも、
非日常のために備える日常なのか。
 
 
 
 
「アート」というコトバが意味する範囲がどんどんと広がっていく。