あいちトリエンナーレ【キュンチョメ「声枯れるまで」】

過去4回のトリエンナーレすべてに一応足を運んでいますが、今年ほど真剣に観ている回はありません。
 
 
「世界は感情に振り回されているのではないか」
「その感情は情報によって煽られているのではないか」
 
 
「情の時代」というテーマを意識して観ると、それぞれがそれぞれの形で具現化されていて、けっこう刺さるモノが多いという印象を感じています。
 
 
 
にしても映像展示が多い。しかもどれも長い。
 
トリエンナーレに限らず、アートイベントでの映像展示はじっくり観ることが少なく、いつも途中で退散してしまうのですが、今年はどれも魅せてくれます。
 
 
 
四間道・円頓寺SA08、キュンチョメは見入ってしまった。
 
特に「声枯れるまで」(15分×3本)は、思わず泣きそうになってしまった。

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FTM(Female to Male)、MTF(Male to Female),Xジェンダー3組が、それぞれ性別(sex)を変えるだけでなく、親からもらった名前を変えた(男性名から女性名へ・女性名から男性名へ)経緯と理由を、キュンチョメのエリさんのインタビューを通じて語ります。
 
このインタビュー、重苦しい感じが一切なく、3人のキャラクターなのか、エリさんの話の引き出し方なのか、むしろ心地よく、ときおり笑ってしまう場面もあります。
また、キュンチョメ2人との何気ない交流のインサート映像も自然で、観ていてほんわか温かくなってきます。
 
 
ああ、このまま実情の話だけで終わるのかと思ったら、やられました。
 
 
それぞれラスト1〜2分のコトバの重量。これでもかの圧。
 
いま思えば30秒ほどだったかもしれない。3分近くあったのかもしれない。
時間間隔さえ失いそうな迫力。
 
ふうぅぅぅぅ。
一編終わるごとに、閉じ込めていた息が漏れていくぅぅ。
 
 
 
 
画面に何が映り、どんな音声が流れたかは、書きません。
何を書いても、あの暗闇であの映像とあの音量を実際に浴びた衝撃を正しく伝えたことにはなりませんから。
 
 
 
 
最近テレビ(NHK)でも、「バリバラの一連」、「ノーナレ  2人の#シリーズ」、ETV特集「Love1948~2018 多様な性をめぐる戦後史」「すぐそばにいる他者の物語」など、ジェンダーだけでなく、多様性を扱った番組が多く放送されています。
テレビのそれは、構成が練られ、時間内に分かりやすくまとめられ、情報という役割を果たしています。
でもテレビの場合、いくら感動して余韻に浸りたくとも、番組が終了したら強制的にまた次の別の番組へと瞬時に移り変わっていってしまいます。強制終了。リセットです。
 
 
でも、このキュンチョメの「声枯れるまで」にある「感情の発露」は、あの会場の中でしか体感できません。
 
 
 
会場でもらったステイトメントにキュンチョメは書いてます。
 
名前には二つの情が含まれている。
親の愛情と、性別という情報。
故に重くて、やっかいだ。
でもだからこそ、その人たちが自分自身で決めた新しい名前は、
まるで名前そのものが叫んでいるようにみえたのだ。
 
 
 
以前から持っていたものをなくさなければ、新たなものは手に入れられない。
新しい自分のために今までの「愛情」と「情報」をいったん捨て去り、また新たな「愛情」と「情報」を掴み取る。
相当な覚悟と勇気と決断が必要だったんだろうな。
 
それぞれラストワンカットの清々しい笑顔に救われました。
 
 
 
 
 
 
「声枯れるまで」の余韻をまとったまま会場を出て、少し歩くと、円頓寺の交差点では、織田信長公が左腕をなくしていました。(行ったのは修復前)

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