あいちトリエンナーレ【葛字路(グゥ・ユルー)「葛字路」】

ただの標識に拍子抜け。なんて、いきなり昭和で失礼します。
一角の雰囲気があまりにも昭和だったので、思わず。

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その標識は、円頓寺商店街のメインストリートから一本脇に入った、店舗跡の空き地にぽつんと立っています。
 
標識に書いてある文字は、<葛字路>
それは作品名であり、また、作者の名前でもあります。

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ただそれだけの標識のどこがアートなんだ?
と行く前は思っていた。
 
現場に着き、「これか」と標識を眺めても、「で?」と、なんの気持ちも動かない。
 
それよりも、標識の奥で夜のとばりを待ち構える円頓寺銀座街のほうが気になる。
 
 
 
標識の並び2軒も展示会場のようです。
そこには標識の意味するところを紹介する動画や展示がありました。
 
それによると…。
 
 
 
 
2013年当時、中国・北京では地図にない無名の道路がいっぱいあったといいます。
 
そこで、名前の末尾に「路」の文字がある作者の葛字路は、自分の名前の標識や看板を無名の道路に設置します。

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すると、公的な地図検索システムに<葛字路>が登録されてしまった。
 
Googleバイドゥ百度)の地図検索システムにも表記されるようになってしまった。
 
宅配便の宛先、タクシーの行き先、駐車違反きっぷなどにも<葛字路>という名(地名)がどんどんと使われるようになっていってしまった。
 
 
個人が勝手に設置した標識や看板が、いつしか集合知に似た作用によって公的なものへ変わっていき、WEB空間上の地図に<葛字路>という地名が次々と誕生していったのです。
 
 
その後、<葛字路>の標識や看板は葛字路が勝手に設置したものであることが知れ渡り、一斉に撤去されます。
 
 
 
 
そして、おもしろいのはここから。
 
この騒動?活動?をきっかけに、北京道路計画局はこれまで無名や通称で呼ばれていた道に正式な名称をつけ始めます。
 
それが2017年のこと。まだ最近です。
 
 
 
そんな顛末を紹介する動画と、<葛字路>が登録されてしまった証拠品(登録番号シール・駐車違反きっぷなど)から、<葛字路>という作品の意味を知ることができました。

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なるほどね。
 
もう一度標識へ戻ってみた。
標識の根本を見ると、立っている場所は道路ではなく、空き地、私有地。
 
 
 
あいちトリエンナーレの公式HPにはこんな作品解説が載っています。
 
公共とは誰のものか。そこではどのような目的でどのような機能が存在し、どうやって管理されているのか。世界はどのように形作られ、そこへの私たちの参加はいかにして認められるのか。
 

 

 
葛字路が標識を立てる前の名もなき道は誰のものだったのか。
 
葛字路が標識を立てることで、名もなき道は<葛字路>という名の道に変わっていった。
 
葛字路が標識を立てることで、名もなき道があることに気づき、公共の名が与えられることとなった。
 
今の日本では想像もできないプロセスです。
 
 
こういう場合、思わず「やっぱ中国だね」なんて軽く呟いてしまうのですが、呟いた後で、この3文字の「やっぱ」って一体なにが「やっぱ」なんだろうなんて、ふと思い至ってしまうのも、なんだかおかしい。
 
 
 
 
で、ですね、ちょっと待てよ、と。
 
 
円頓寺の空き地に立っている標識は、葛字路というアーチストによる<葛字路>という作品、という形で紹介されている。
 
でも、あの造形物が作品でいいのだろうか。
もちろん、騒動や顛末を記録した動画が作品、というわけでもありません。
 
 
 
 
 
多くのアート作品は、結果の展示です。
もちろん展示の場で変化していくものもあって、全てではありませんが、多くが結果の展示です。
 
絵画も彫刻も描き終わったもの、造り上げたものが展示されています。
映像作品も撮影編集した結果のもの。
インスタレーションもその場で設営した結果のもの。
即興的なものもあるとはいえ、パフォーミングアートもおそらく練習の賜物。
 
 
 
となると、この<葛字路>という標識はなんだろう。
標識そのものを作品と呼んでいいのだろうか。
 
 
そもそも葛字路は、社会を変えようという狙いがあって標識を立てたんだろうか。
 
 
その後の変化をも見据えた標識の設置だったのだろうか。
 
 
公共とはなにか?を問いかけるためだけの標識に過ぎなかったのかもしれない。
 
 
それとも、たまたま自分の名前に「路」がついていたから、ほんの思いつき、いたずら心ではじめただけなのかもしれない。
 
 
 
標識を立てることによって生じた変化を「アート」と呼ぶならば、作者は葛字路本人だけでなく、次々と登録していったどこかの誰かや最終的に正式名称をつけることにした北京道路計画局とも言えてしまう。
 
 
そこまで考えていくと、現場に行く前に想像していたただの標識が、今度は違って見えてきます。
 
 
 
自分は特にアートに詳しいわけでも、専門に学んだわけでもなく、美術館や芸術祭にも頻繁に足を運ぶほうではありません。
どちらかというと、現代アートってよくわからん、といつも思っていたほうです。
一見して「なんだこれ?」となってしまったら深く考えることをせず、次なる展示へさささっと移動してしまうタイプでした。
 
 
 
でも今回のあいちトリエンナーレは、例の一件があったからか、いつになく真剣に観ています。
会場にでんと設置されている<モノ>だけで分かった気になっちゃいけないと、キャプションやステイトメントもじっくり読むようにしています。
 
なるべく、自分にできる範囲で、そこにあるモノ以外から読み取れる背景、というか文脈のようなものを必死に探り当てようと心がけています。
 
 
 
いつもはない、そんな歩み寄りってなんだろう、と考えたら、
「好意」ってコトバが浮かびました。
好意に似た気持ち。
 
 
ここでいう好意、というのは
単に好きとか、理解できるとか、認めるとか、正しいとかだけでなく、
 
好みじゃないけれど、嫌いだけれど、許せないけれど、価値観違うけれど、
けれど、
けれど、
 
存在を認める、ってことを含んでいます。
 
 
 
今回のあいちトリエンナーレ
例の一件で展示作品が減ってしまいましたが、それでも今観ることができる展示はかなりおもしろく、その場限りで思考が完結できないモノばかり揃っています。
 
 
今そこにあるモノを鑑賞する、というのではなく、
「今」を中心点にして広がる縦軸(歴史)と横軸(世界)を眺めに行く、
そんなつもりで出かけるとぐんと興味深く接することができるのじゃないかなと思います。