「東京ブラックホール 破壊と創造の1964年」は衝撃の番組だった。
最初は単純に、山田孝之が1964年の資料映像のなかに合成技術でタイムスリップするだけの、ちょっとエンタメかかった内容だと思っていた。
ところがどっこい、実際には、この時期にOAするその意味を邪推してしまうほど意味深で、けっこうショッキングだった。
1964年は生まれていました。でも東京オリンピックの記憶はまったくありません。
その後に見たニュース映像や市川崑の映画でしか知らない。
そこで描かれている東京オリンピックは、日本中が熱狂していて夢と希望と感動に満ち溢れている。
そうだったんだろうな、と疑いもしませんでした。
1960年代は、「ALWAYS三丁目の夕日」の影響もあって、貧しくとも古き良き時代という印象が刻まれています。
記憶って個人だけでなく、集合体の中でも美しいほう、輝いていたほうへと上書きされていくんですね。
「東京ブラックホール 破壊と創造の1964年」で描かれていた1964年の真実いくつか。
東京の空はスモッグで真っ白。児童たちはマスクが欠かせない。道路や施設の突貫工事の出稼ぎだらけ。労働者の補償はなく転落事故が頻繁に。工事に必要な砂利を運ぶ船は一度にたくさん運搬するため積載量を大幅に超えて沈没寸前。汲み取りで集めた糞尿は東京湾へ平気でポイ捨て。川沿いに住む家庭のゴミも川に捨てるのが当たり前。そうして売られた血の多くが輸血に使われたが、肝炎のウイルスに汚染された血も多くあって、 オーストラリア選手団はオリンピックに参加する選手は日本での輸血を拒否すると声明を発表した。<東洋の魔女>と聞かされていた女子バレーの真実は知らなかった。女子バレーはもともと種目になかったが、日紡貝塚が強く世界選手権で優勝したため、メダルが獲れると、開催国権限で種目に入れた。しかも参加国は、試合を成り立たせるために必要な最低の6カ国だけだった。さらに女子バレーの選手たちは、世界選手権での優勝で引退を決めていた。でもメダルのために引退を撤回して出場せよと、委員会は懇願した。引退したから出ない、という選手や大松監督には、「やめるのは非国民」「卑怯者死ね!」の投書が相次いだ。オリンピック開幕直前、北朝鮮選手団が突如帰国。参加チームが足りなくなり焦った委員会は、出場の予定がなかった韓国へ出場のお願いを。そんななかでの優勝。優勝の瞬間、大松監督の表情が印象的です。「これで解放される」との思いなのか、無表情。
そんな金があるなら、他のことに使え派が圧倒的多数でした。
労働者は使い捨て、立場の弱い者には繁栄が回ってこない。生活インフラも満たされていないのになにが経済成長かと、国民の不満は溜まっていたといいます。
それ以前のゴタゴタがなかったかのようになってしまう。
さあ、来年は2020年。
無駄使いだの。
と思ったら、マラソンのスタートが午前3時だって!?
なんだこれ、1964と同じことのくり返しじゃないか。
同じことのくり返し、ということは、実際に始まってしまえば間違いなく盛り上がるってことかぁ?
オリンピック一色になってしまうってことかぁ?
今まであったあれもこれもするっと水に流して、
「ニッポン頑張れ!」「強いぞニッポン!」の大合唱になるに違いなしと。
メダルと君が代と高々と上がる日の丸と絶賛する報道に、批判の声はかき消されていく。
脳天気なワイドショーのバカ騒ぎにかき消されていく。
だから今、いろいろな問題や批判や山積していても平気なのだ。
始まってしまえば簡単に忘れちゃうってこと、1964が証明しているから平気なのだ。
いまどんな声があがろうが、今さえやり過ごしてしまえば、こっちのもんだバンザイバンザイでスクランブル交差点は大騒ぎとなる。
と、踏んでるぞきっと。
そうしてオリンピックが終わり、数年も経てば、1964のときと同じように、「ああ良かったね」「ニッポン強いね」「やって良かった」「輝いていたね」となってしまうのだ。
「東京ブラックホール 破壊と創造の1964年」では、オリンピック後についても語っていた。
建設ラッシュの反動なのか、次々と会社が倒産。
失業者があふれ、政府は赤字国債を発行。
以降、赤字国債に依存する体質が生まれていったと。
実際1964の時はそうだっただろうけれど、1964と2020では、取り巻く状況がぜんぜん異なる。
もういまや日本は、工業立国でも、アジア唯一の先進国でもなく、あの時以降のような成長は期待できない。
となると、2020年以降を想像すると……ホントにおそろしい。
このタイミングでの「東京ブラックホール 破壊と創造の1964年」の放送、しっかり冷静に2020を迎えましょうね、の警告に思えて仕方がない。