指し示された地図に従い歩き出したはいいが、
途中から方角を狂わされ迷子になっていく。
しかもその場所は、目印が一切ない砂漠や秘境なんかじゃなく、
ごくありふれた日常だから、余計にぞっとする。
いったいこの人は読者をどこへ連れて行こうとしているのか。
この人とは、「むらさきのスカートの女」で芥川賞を獲った今村夏子さん。
受賞第一作「的になった七未(なみ)」が文學界2020年1月号に載っています。
はじまりは穏やかな保育園の日常。
園児たちが、園で飼っているヤギにどんぐりを投げつけるいたずらをしています。
ダメでしょ、どんぐりが当たると痛いでしょ、ということを分からせるために、園長先生は園児ひとりひとりにどんぐりを投げつけます。
どんぐりが当たった園児は泣き出し反省します。
でも、七未(なみ)には、いくら園長先生がどんぐりを投げても当たらない。
一個も当たらない。不思議と当たらない。
すでにどんぐりが当たった他の園児たちは、教室から、動物ビスケットを食べながら、どんぐりが当たらない七未を応援します。
「がんばれがんばれはやくはやく」と。
この後、的になっても当たらない七未のエピソードが続きます。
悪ガキが投げる水風船も七未には当たらない。
廃品回収業のおじさんが投げる空き缶も七未には当たらない。
学校でのドッチボールでも七未には当たらない。
そのたび、七未は声援を受ける。
「がんばれがんばれはやくはやく」
やがて七未は、その声援の意味に気づきます。
「がんばれはやく」は早く逃げろの意味ではなく、「早く当たって楽になってこっちへおいで」の意味だと。
そして七味は、<なにか>に当たるために、日々、街へと出かけていきます。
はい、もうこのあたりから読者は迷子の予感を感じ始めています。
あれ、この道正しいのか?
GPSは完璧に狂い始めています。
おいおいどこへ連れて行こうとしているのだ。
今村夏子という作家は恐ろしいです。
といってもホラーじゃありません。推理でもSFでもありません。
舞台はどこにでもある身近な日常ばかり、なのに、恐ろしく不穏。
文章もシンプルで読みやすいのに、秘められた意味は恐ろしく不穏。
短編も長編もさらっと読めるのに、読み終わった後しばらく、え、え、え、え、と振り返らざるを得ない。
これはですね、
「あーおもしろかった。さ、ごはん食べよ」とすぐさま日常に戻ることを許さない禁断の芸術です。
え、現実なの?空想なの?
え、生きてるの?死んでるの?
え、誰と話してるの?
え、本音はどこ?
え、みんな知っているのに誰もなにも言わないの?
動機が解明されない<人>のねじれほど怖いものはない。
と、今村夏子の小説は教えてくれる。
さあ、まだ5冊ほどの寡作の作家です。間に合います。迷子を楽しみましょう。