「魂のタキ火」に癒やされて

実際の収録がそうだったのか、それとも編集であえてそうしているのか、
3人の鼎談にも関わらずこの番組は沈黙がかなり支配している。
 
数秒、ときには10秒以上もの間、誰もなにも話さない。
でも、それは、放送事故にはならない。
 
鼎談者の沈黙を埋めているものがそこにあるから。
 
 
木がはぜ、
風が勢いを増し、
燃え尽きた木が姿勢を崩す。
 
 
3人の前にあるのは、焚き火。
 
 
 
はじめて会ったという3人もいれば、そうでない組み合わせもある。
テレビやメディアでよく見知った人もいれば、この人だれ?って人もいる。
 
で、この人だれ?という見る人の疑問の答えは、番組の中で示してくれない。
 
ぼそりぼそりの会話のなかから、なんとなく想像するかしかない。
でもまた、その不親切さが焚き火には似合っている気もする。
 
「ちょっと火にあたらせてもらっていい?」という通りすがりの出会いって感じがする。
 
 
 
 
焚き火を前にすると誰もが寡黙になってしまうのか、
普段テレビであんなにも饒舌な人が、ただ火を見つめるだけで多くを話さないことだってある。
 
 
焚き火は、心の奥をそっと開く力があるのか、
へぇこの人は、そんな考えを持っていたのかと気づかされる言葉を発することもある。
 
 
 
焚き火は3人の媒介となっている。
3人の前に焚き火があることで、焚き火に話しかければいい。
無理に誰かに向かって、顔を見て、話さなくてもいい。
焚き火に話しかければ、ゆっくりと焚き火が返してくれる。
 
 
いつも誰かが言う。
「ずっと見ていられますね」
ぱちん
ぱちん
 
 
 
 
五島諭という歌人に、こんな短歌があります。
 
 
 

海に来れば海の向こうに恋人がいるようにみな海を見ている

 

 

緑の祠 (新鋭短歌シリーズ10)

緑の祠 (新鋭短歌シリーズ10)

  • 作者:五島 諭
  • 発売日: 2013/12/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)