将来できるであろう「平成村」を想像してみたら…

西武園ゆうえんちに昭和の町並みが生まれたらしいです。
 
 
で、この先令和からさらに時代が進み、どこかに平成を振り返る「平成村」なるものを
作ろうとなったときのことを想像してみるのですが、不思議なことに、物理空間としての「平成」が、まったくイメージできません。
 
 
 
平成最後(2019年)の正月に、2日に渡ってオンエアされた「平成ネット史」。
本が出版されたのでもう一度録画を見直してみました。

 

ウインドウズ95、電車男、2チャンネル、iモードmixi
出演者たちは、番組内で紹介されるネット上の出来事、アイテム、サービスの数々に「なつかしー」「青春だぁ〜」と興奮していた。平成の多くの居場所はネット上にあったようです。
 
 
西武園ゆうえんちを紹介する番組やニュースのなかでは、再現された昭和の商店街がとても楽しそうでした。
若い人たちが笑顔で映えそうな写真を撮りあっていた。
みんな笑っていた。
 
 
 
 
個人的に思い出す昭和の商店街は、名古屋駅西口から大門方面へと暗く怪しげに伸びる駅西銀座通りで、消し去ろうとしても消えきらない記憶のなかでは、
酔っぱらいがそこらじゅうでゲロを撒き散らし、
なんの店か忘れた店頭では瓶詰めのマムシが陳列され、
どこかの家の前に置かれた自転車の荷台のうえにはサルが座っていて、
外灯のない路地の隙間からは歯の抜けた老女の「若い娘いるよ」のしゃがれ声が聞こえてくる。
 
ここを歩くときはいつも歩幅が大きくなり、ただ前だけを見て風のように通りすぎることだけにしていた。
そうしないとすくってもすくっても底から滲み出てくる灰汁に、心と体がからめ取られてしまう。
西武園ゆうえんちには、そんな昭和はもちろん、ない。
 
 
将来「平成村」ができる頃には、フェイクや炎上や誹謗中傷も、懐かしく美しい思い出となっているのか、どうか。