オリンピック開幕後に控えてるかもしれない最低のシナリオ(仮)

こうなったらイヤだな。
いや、でも、あり得るかもしれない。
もしかして、そうなっても仕方がないものと、
想定シナリオが事前に用意されているかもしれない。
ほんとうにそうならば、ぞっとする。
だから、あえて書いてしまう。
 
 
 
予定通りの7月23日、東京オリンピックは開幕する。
 
興奮と熱狂と、それと同じくらいの虚無と憤怒がまん延するなか、お祭りは人々から警戒と緊張感を奪っていく。
スクランブル交差点ではハイタッチやハグが見境なく交わされ、路上飲みはそこらじゅうで行われ、関係者や競技が終わった選手らは街へと繰り出していく。
 
当然のごとく感染者は増えていき、分断と対立はより深まっていくだが、それでもなんとか、8月8日の閉会式まではと、騙し騙し作戦が実行される。
 
 
はぁ、とりあえず「オリンピック」は終わった。
 
次のパラリンピック開会式は8月24日。およそ2週間後。
 
その間に控えるのは、お盆。
オリンピックがいいなら、帰省だってえーだろ、と人の流れは激流となって全国をめぐる。
 
もちろん、感染は収まらない。拡大するばかり。
 
どうする?この先。
とりあえず最大のオリンピックは終わった。
終えることができた。
と、そこで、誰かが口火を切る。
 
いくか。例のシナリオで。
 
 
 
 
 
 
 
「東京パラリンピックの中止」
 
 
 
 
 
パラリンピックは中止になっても仕方がない。想定の範囲内だ。
もちろん、中止発表の会見で、想定内だなどと言うはずもない。
険しい顔つきで言うのだ。
 
 
「苦渋の決断である」
「国民の命と健康を犠牲にはできない」
「これ以上の感染拡大は封じ込めなくてはならない」
「私、内閣総理大臣が判断をし、IOCに提案、説得の上、決断しました」
 
 
よくやった。よくぞ決断した。の声が一部であがり、支持率は上昇する。
 
 
やるべきオリンピックを(半分)開催し、多数を占める中止の声にも(半分)応える。
おいおい。なんと狡猾な。恐るべきシナリオ。
考えすぎだろうか。ここまで卑劣のはずはない?
いや、でも、そう勘繰ってしまう不信がそこにあるから仕方がない。
 
 
答えは1ヶ月半後にはわかる。