「茄子の輝き」を愛でる時、傍らにはネコがいて欲しい

映画「花束みたいな恋をした」のなかに、(有村架純演じる)絹が本を読み終えたあと、感動とともにふうと息をつく、というシーンが出てきます。
 
絹が読んでいた本は、これ、滝口悠生「茄子の輝き」です。

 

 

7本ほどの中編が収められている「茄子の輝き」は、その殆どが、取扱説明書を制作する小さな会社に勤める主人公の、なんてことのない日常の切り取りです。
 
お茶汲み当番のペアをどうやって決めようかとか、途中入社の女性・千絵ちゃんがどれだけ可愛いかの話だったりで、展開が気になる事件も、じれったい恋の駆け引きも、一切ありません。
 
 
そうなんですけども、いいんですわこれが。
いまここに、有村架純さんがいたら、よかったよね〜と抱きしめてしまうかもしれない。やばいやばいいなくて良かった。
 
 
しかし、「茄子の輝き」の、というか滝口悠生さんのなにがいいんだろう。
 
 
文体?言葉の選び方?リズム?描写?
 
「茄子の輝き」に関していうと、特に同僚である千絵ちゃんに対する愛しさの表現が輝いている。
主人公の千絵ちゃんへの感情は、主人公自身も言うように「恋」なんかじゃなく、例えるなら幼子やペットに対する愛玩のよう。存在そのものが愛おしく、その存在への感謝さえも感じてしまう。
素直でストレートなその表現は、とても心地よい。
 
 
 
以下、一部引用

高田馬場に、千絵ちゃんがいる。 それこそが、あの頃会社に向かう私の心中にあった気持ちだった。ほかの連中は、どうでもよい。

 

異性と接するよろこび、いや、人と接するよろこび。千絵ちゃんが現れてからは、私はそれま ですべて断っていた昼飯の誘いや飲み会にも行くようになったし、業務上の用件以外はあまり同 僚とも言葉を交わさなかったのに、むしろおしゃべりな男と思われるようになっていった。

 

私はそれ が千絵ちゃんの声と気づく前から、何かに気づいている感じがある。これから千絵ちゃんの声を 聞くぞ、千絵ちゃんが声を発するぞ、という予感、予兆、そういう何かを私は感知する。いつもそうだった。いつも私は、千絵ちゃんがしゃべり出す前に、顔が千絵ちゃんの方を振り向いてい た。声になる直前の千絵ちゃんの唇から、何かが私に伝達される。
 

 

千絵ちゃんは今、向こうを向いて誰かと楽しそうにしゃべっている。その顔や体の向き、私の 席からその声までの距離がはっきりとわかる。そこにある距離に、私は近すぎも遠すぎもしない 絶妙さを感じ、その距離じたいが千絵ちゃんであるかのように思う。私と千絵ちゃんのあいだの 最適な距離として現れる千絵ちゃん。ということは、そこで達成されているのは距離を持ちながらの密着である、と言うこともできる。

  

声の強弱、 息継ぎやつっかえ。そういう声、あるいは声と声のあいだの間が 、千絵ちゃんの顔をしている。 いや、顔だけじゃない。意味を持たぬ声だからこそ、表情や身振りの変化、喉や口腔の湿潤、空 気を送り出す肺や腹、私は何でも知ることができた。

 

以上、引用ここまで。
 
なんだか千絵ちゃんが古川琴音に思えてきた。
 
 
 
こうしてひとりの女性を描写する文章を引用してニタニタしている自分は、あぶないのか?
アイドルのMVやグラビアをトイレの個室にこもりスマホで見ているようで、あぶないのか?
 
そんなことはない。
滝口さんの文章に惹かれている人はもちろんたくさんいるし、その文章きっかけで結婚だってしている。
 
滝口悠生さんのパートナーは、ブックデザイナーの佐藤亜沙美さん。
佐藤さんは、まだ小説家になる前の滝口さんの文章をフリーペーパーで読んでひと読み惚れしたらしい。
ひと読み惚れ。人に恋心を抱かせてしまう文章。なんかいい。なんかわかる。
 
 
 
映画とかを観て、その感想を語る場合あらすじについて語ることってあまりない。
ピアニストと俳優の卵が出会って恋をして歌ったり踊ったりするけれど別れることになり、そのとき別の選択をしていたらどうなっていたんだろう、というストーリーがいいよね。なんてあまり語らない。
 
そのストーリーを構成するいくつかの細部について語る。
 
あの表情、あのカメラワーク、あの音楽、あの衣装、あのセリフ…すべてが断片で韻文的。だから小説だってそれでいい。そういう味わい方があってもいい。
 
 
 
標題の「茄子の輝き」とは、退社して彼氏の実家のある島根へ行ってしまう千絵ちゃんと最後に一緒に食べた茄子のことで、均等に斜めの切れ目が入り、鰹節とすりおろした生姜がのせられた紫色の皮の茄子、という描写に、ただ舌なめずりしたっていい。
読後に覚えているのが、その輝いた茄子のことだけだっていい。
 
 
 
滝口悠生の小説は万人受けではなく、この「茄子の輝き」だっておそらく多くの人が退屈だと感じると思う。
なんか全然話が進まない。変化がない。って。
 
 
そして不思議と滝口悠生の小説を読む時は、傍らにネコがいて欲しい。
 
腰のあたりに身体を預けて眠るネコがいて欲しい。そしてページを捲りながら、そのネコの背中や首筋をゆっくりとやさしく撫でたい。そんなふうに読むと、もっと一層味わえそうな気がする。まったく根拠はないけれど、そう思う。
 

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