「え、大野智さん、えっ、え」
受付の女性が顔を上げそう声を漏らした。
1999年のデビュー以来だから振り返れば20有余年、
名前の書かれた書類を提出する場で、何度同じようなやり取りを繰り返してきたことか。
ときに「すみませんねぇこんな大野智で」と低姿勢となり、
ときに「サインしましょか」と愛想を振りまき、
ときに「こっちが先に生まれてます」と先輩風を吹かせ、
同姓同名ネタをフル活用したふれあいを楽しんできました。
ありがとう嵐。ありがとう大野智(さん)。
新型コロナワクチン集団接種会場でもそうだった。
◯番の受付へお進みください、と指示された先の◯番受付の女性は、ワクチン接種券に印字された私の名前を見るやいなや、上京してすぐ憧れのメイドカフェで働き始めた新人メイドのように叫んだ。
「え、大野智さん、えっ、え、マジ」
「私、ファンなんですぅ」
「うわぁすごいすごい」
「友だちに自慢しちゃお」
おいおい。
大野智に会えて嬉しいのはわかるが、ちょいとはしゃぎ過ぎではないですか。
ここは緊急事態を乗り越えるためのワクチン接種会場ですよ。抑えて抑えて。
ま、でも、悪い気はしない。
それにこういう時、こうしてはっきりと態度や言葉に表わしてもらうのはありがたい。
同姓同名!と気づいてはいるのだけれども、な〜んにも言わない人がいます。
黙って口角の端っこを、間違い探しの問題のように微かに上げて、な〜んにも言わない人がいます。
わかってます。今あなたが心のなかで何を思っているかわかってますって。
おっしゃるとおり。
「え、大野智」と思ったら言葉にしてください。
それが同姓同名者に対する礼儀です。
気遣いの沈黙は不要です。
かえって自意識が傷つきます。
沈黙が支配する場所。喋ることをはばかる場所…例えばそこは、そう、選挙。投票会場。
そこではこんなふうに展開していきます。
受付での本人確認で、名前と生年月日を告げる。と、担当者は例外なく上目遣いで私の顔を見つめます。
その時その瞳には、微かなゆらぎと静止が絶妙なバランスで混在し、時に(まずいものを見てしまった的に)目を背けられます。
それでも私は、そのわずかゼロコンマ数秒の驚きと落胆と冷笑を見逃さない。
通常業務、誰にでも行なう確認作業じゃん、といわれようが、20有余年の経験は自意識をくすぶらせるのです。
その場で「え、大野智さん、え」がない分、休憩時間や投票箱片付けのときに「そういえば今日、大野智って人が来てたよ」「え、マジ」「カッコよかった?」「おっさんだった」「坊主だった」なんていう会話が鼻歌交じりで交わされているかと思うと、もう二度と投票なんかするもんか、で、そりゃあ投票率は下がります。
さて、ワクチン接種会場の大野智ファンのあなた。
振り返れば20有余年のなかで、あなたのそれは、最大のリアクションでした。
しかしあらためて申し述べておきますが、ンなことは言うまでもなく、
私は嵐の大野智ではありません。
とにかく、ただ一点、名前だけを共通点にして<私は大野智クンとつながってる>を見出してしまうのは、分断の時代を生きていかざるを得ない者の弱さの表れなのかもしれません。
ほんの小さな、か細く、刹那的な結びつきなのに、<つながり><絆>を強調されても虚しいだけ。
ふん。
いいでしょそれで。
ふん。
直接届けられたメッセージでなく、櫻井翔くん経由のメッセージでもめっちゃ喜んでいた。
なるほど。推しのパワーは強大だ。
誰かがどこかで言っていた。
それが誰かの希望になるのならば、自分にとっては使命になる。
同姓同名の大野智という名前が、誰かの希望になるのならば、それを自分にとっての使命にしよう。
さあ、ワクチン接種会場の大野智ファンのあなた。
休憩時間や帰りのバス車内で、どうぞ嵐仲間にLINEしてください。
❤今日大野智にあったよぉん❤
そのあとしばらく続く仲間とのメッセージのやり取りが明日への活力になるのであれば、それが同姓同名者の生きる喜びでもあるのです。
それが誰かの希望になるのならば、自分にとっては使命になる。
いまのところ名前以外誰かの希望になっているというたしかな実感がないのが寂しい。