今日マチ子「Distance わたしの#stayhome日記」

きょうまちこ
 
と聞いてどんな漢字を思い浮かべるか。
ここはあえて、「京」ではなく、「今日」の方で。
漫画家でありイラストレーターである
今日マチ子さんの「Distance わたしの#stayhome日記」
タイトルから想像できるように、コロナ禍の日常を切り取ったイラスト集です。
今日マチ子さんの、淡く柔らかなタッチのイラストは、
禍(わざわい)という単語が不釣り合いなほど心を溶かしてくれます。
けっしてリアル、ではないけれど、ちょっとした手足の角度、目や鼻や口のパーツの繊細なライン、風や動きに触れる服装のなびきは、前後の動きを容易に想像させてくれます。
 
 
 
いまなにげなくコロナ禍の日常と書いてしまいましたけど、大きな、歴史的な、ニュース的な視点から見ると、この一年十ヶ月は、これまで当たり前にあった日常とは異なる日常であったことは間違いありません。
 
それでも毎日、朝起きて、歩いて、コンビニに行き、仕事をして、ご飯を食べて、ベッドに入るという日常は、そこにありました。
 
日常というものは、一日が24時間というリズムを刻み続ける限り、古い日常新しい日常だけでなく、かろうじての日常ひきこもりの日常我慢の日常コロナが落ち着いたらと言い訳ばかりの日常頑張ってきたのに中止になってしまった日常面倒なことが中止になってホッとする日常などなど、どんな形でもマトリョーシカのようにいつだって存在するんだなと改めて気づきました。
 
 
しかし、そんな日常も二年近く経つと、その多くをするっと忘れかけています。
 
例えば、
図書館のカウンターに張り巡らされていた分厚いビニル越しの威圧感や、
マスクってこんなに種類と色があるんだなと気づいた日の感覚なんかは、今日マチ子さんのイラストを見るまですっかり忘れていました。

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この一年十ヶ月、自分のできることで、何らかの記録を残しておくべきだったといま強く後悔しています。