真っ赤なTシャツおじさんを見かけても優しくしてあげてください

かなり濃厚な赤で彩られたTシャツがここにあります。
ポリエステル100%で吸汗性に優れているため、30度近くまで気温が上げる日には、
思わず、つい、うっかり着てしまいます。

 
自分ではけっして選ぶことのない真っ赤な特濃Tシャツ。
が、なぜここにあるか?
息子が大学生のころ、なにかのイベントで着ていたものの、有効的再利用、循環型社会への貢献でございます。
 
しかしその活用の場は、もっかのところ家の中だけ。限定的です。
この年で、この特濃赤で、外を出歩くことは、さすがに差し控えさせていただいています。
 
でもふと思うのです。
 
おっさんが真っ赤なTシャツで出歩ける範囲ってどこまでなんだろうと。
 
誰も気にしちゃいない?でも自分が気にする。
いい加減に捨て去りたい自意識ってやつが囁きかけてくるのです。
 
 
<赤すぎる赤が歩いてくるぞ。>
<あん?おっさんじゃん。>
<恥ずかしくないんかカン違い若づくりヤロウめ。>
 
 
 
人が、ハイハイからつかまり立ち、そしてひとり歩きへ成長するように、真っ赤なTシャツの行動範囲も広がっていく。
 
 
この前、夜のコンビニまで行ってみました。
こころなしか店員のチョウさんが微笑んでくれたような気がします。
この派手な赤に懐かしさを感じてくれたのかな。
 
しかしまだ昼のコンビニには行けない。
図書館のスタバもはるか遠い。
 
 
 
 
赤は目立つ。
目立つから、町の看板の注意を引くためのの文字色としてよく使われる。
でも、赤色は、その使う塗料によって、経年で消えてしまうことがあります。

一番気づいてもらいたいのに、一番早く消えてしまう赤。
 
消え去る前にもっともっと真っ赤なTシャツを着て出歩いてもいいんだよ。
そのうち見えなくなるから気にするなよ。
そう教えてくれているのかな、と最近思うようになって……くるわけがない。
 
 
年寄りのダメージジーンズが本当のダメージのように、
年寄りの真っ赤なTシャツは、赤っ恥なのだ。
 
*個人の感想です。ダメージと赤っ恥には個人差があります*