変わるべきは…「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」を見ながら

午後からの打ち合わせの前に昼食を済ませようと、ひとりで飲食店に入った。
お好きな席にどうぞ、と促され見回すと、入り口近くに空いたテーブルがあった。
その隣のテーブルでは、女性がメニューを覗き込んでいた。
 
体は一瞬空いたテーブルに向かいかけるが、脳が引き止めた。
少し離れたカウンター席へと移動した。
 
オーダーを済ますと、視線はなぜか、メニューを覗き込んでいた女性に向かってしまった。
彼女はまだメニューを覗き込んでいる。
体を揺らしメニューのひとつひとつを読み上げる声が聞こえてくる。
 
 
その姿に、なにか確信したわけではない。
ないけれど、もしかして、と、
さっきは、無意識…?意識して?隣に座ることを避けてしまった。
 
 
 
 
 
 
このところNETFLIXの「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」というドラマにハマっています。
毎話見終えるたびに、はぁ〜と満足のため息が自然と出てしまう、とても心地よい気分にさせてくれるドラマです。
 
 
主人公は、自閉症スペクトラム障害を持つ弁護士です。
すべての法令・判例を暗記できる脅威的な記憶力を持ち、他の弁護士らが見落としている点を、記憶のデータベースから瞬時に引き出して裁判を進めていく「天才」です。
 
 
演じるパク・ウンビンが素晴らしく、自閉症の特徴(なのかな)である、人と目を合わせられない、常に揺れ動いている挙動、早口、感覚過敏などを、ミリ単位といえるほどの繊細さで演じています。演技、というよりも憑依、が相応しいかもしれません。
 
 
 
彼女を取り巻く人物たちの描き方も素敵です。
弁護士事務所の仲間は、互いにプロフェッショナル、ゆえにごく自然に尊重や敬意で接しあい、時に競争心で高め合っています。
そこには同情も憐憫も気遣いもありません。
障害者を描いたドラマでよくある、強引なドラマテクニックを凝らしたクリシェ(常套)なお涙頂戴もなく、見ている方は<泣かされる>のではなく、気づくと<自然と潤んでいる>という感じで、本当に心地よいです。
 
 
 
だから、
「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」を見ていると、それがドラマであることをふぅっと忘れてしまいます。彼女たちがいる世界の一員となって、彼女たちと同じ時間を共有したいさえ願ってしまいます。
それだけに素敵な世界なのです。
 
 
 
でも、そんなドラマを見ている私がいる世界は現実。
現実は残酷です。
もしかして、という感覚から、あの女性の隣の席に座ることを避けてしまった自分が、確実にいるからです。
避けてしまった理由は、私自身の理由で、彼女になんら問題があるわけではありません。
自分の勝手な思い込みと、自分にはないと信じていたけどやはりどこかに隠れていた偏見のようなもの、とかのよるものかと。
 
 
 
 
 
ドラマの中で、ウ・ヨンウは、さまざまな現実と出会います。
 
私と一緒に歩いていると、ボランティアをしているんだね、と他人に思わせてしまう現実。
 
クライアントのための弁護が真実を遠ざけてしまう場合もある、という弁護士としての現実。
 
父親の愛ゆえ、挫折するならちゃんとひとりでしたい、と口にしてしまう現実。
 
 
 
「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」は、まだシリースの半分ほどしか見ていないのですが、おそらくウ・ヨンウは、これからそうした現実と向き合い、悩み迷い、自分を見つけていくのでしょう。
同時に彼女の周辺も変わっていくであろう予感を感じます。
 
 
さて、そんなドラマ世界の一員になりたいとさえ思ってしまう自分も、同じように変わっていけるのかどうか。
と、ひとり、昼食を食べながら思ったりもします。
 
 
 
 
 
 
かつてハマりにハマった傑作朝ドラ「あまちゃん」に、こんなセリフがありました。
 
東京でいじめに遭い、母の実家・岩手に越してきたアキ(あまちゃん)が、再び東京へと向かう時、母(小泉今日子)がこんなことを言います。
 
 
アキ「ママ、私変わった?1年前とずいぶん変わった?」
春子「変わってないよ、アキは。だけどみんなに好かれたね。あんたじゃなくて、みんなが変わったんだよ。自信持ちなさい。それはね、案外スゴイことなんだからね」