フリーランスはヒマなのだ

フリーランスのお友だち〜本・映画・テレビ・ネット

男湯?女湯?間湯?バリバラ「LGBT温泉旅」企画が強烈だった

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LGBTが温泉に行ったら男湯女湯どっちに入るか。

 

戸籍上や見た目だけで男湯女湯に分かれるという今までの常識(やり方)ではまったく立ち行きいかなくなってきているという現実がすでにあちらこちらの温泉宿では起こっているんだろうなと思う。 
 

この企画では、見た目→戸籍上の性別→性的指向、といろいろ試していた。
見た目の男湯には乳房まるだしの万次郎が、戸籍上の男湯にはるな愛が、とぶっ飛んでしまう絵柄が生まれて、バリバラの攻めは相変わらず強烈です。 
 

小さい頃から「男の子でしょ」「女の子らしく」とか言われて育ってきた世代には、その刷り込みもあって身構えて意識しないと男と女の二元論でしか未だなかなか見ることができず、でも、もうそんなこと言ってられない時代に入っているだろうから、改めて意識も制度もルールも取り決めもスイッチしないと、インバウンドだのオリンピックだの言ってられない。刺青お断り以上の課題かもしれません。
「バリバラ LGBT温泉旅」再放送は15日(金)0:00。木曜深夜です。

 

生まれてきてよかった―てんでバリバラ半生記―

生まれてきてよかった―てんでバリバラ半生記―

 

 


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室町時代のペテルギウスを眺める平成の恋人たちよ

ハフィントンポストにこんな見出しの記事を見つけました。
小惑星、10月12日に異常接近 家一軒の大きさ】
そんな10月12日はもうすでに過去。なにごともなく過ぎ去っていきました。
 
 
記事によると、15〜30メートルほどの小惑星が、地球から4万2000キロ未満の距離を通過する(した)らしい。
 
4万2000キロ=(イコール)異常接近、というのがよく分からない。
この距離は、宇宙的(?)天文学的(?)には「異常」と騒ぐほど危険な距離なのだろうか。
 
そもそも4万2000キロ離れたところってどこだ?
それは地球と月の8分の1に当たるらしく、それでもそこは「めっちゃ遠いところ」で、そんなところでも異常なの?
 
 
わからない。
宇宙における距離感がまったくわからない。
 
4万2000キロも離れていたら体感的に危険を感じることなどありもせず、なんか桶狭間の交差点で、「ここで昔、合戦があったんだなぁ」と感じ入るほうが実感が深い気がしてしまいます。
 
ホントに異常なの?宇宙のことなんも知らないと思って煽ってんじゃないの?「イジョージョー詐欺」に遭った気分です。
 
 
 
 
この記事で、おい、それホントに正しいのか?と疑ってしまった理由はもうひとつあります。
 
見出しにあるこれ、
「家一軒」
 
「家一軒」て、それ誰の家を基準にしてるの。
 
年収いくらの人の家?築何年?平屋?3階建て?日本の?外国の?
家一軒といわれてまず思い浮かぶのは自分ちで、狭小住宅に住んでる人はちっちゃい惑星だなぁで、豪邸に住んでる人はでっかい惑星だなぁと、人それぞれで家それぞれ。
 
しかも大きさ以前に、頭に浮かんだのは、宇宙空間にぽっかり木造住宅が漂っているビジュアルですから、例えとして首を傾げてしまいます。
 
 
 
 
 
宇宙の距離感でまた厄介なのはそこに時間が加わってくるからです。
光の速度、光年というやつで、光は一年間に9兆4600億キロメートル進むそうです。
 
9兆4600億キロメートル!
 
根っからの文系にとって光年という単位はまったくもって、雲どころか大気圏を突き抜けてペテルギウスをつかむような話です。
 
 
ペテルギウスとはご存知、オリオン座の三つ星の左上に輝く星。
 
最近読んだ伊坂幸太郎の「ホワイトラビット」にオリオン座の話が出てきました。

 

ホワイトラビット

ホワイトラビット

 

 

ペテルギウスは、地球から640光年離れた距離にあります。一光年が9兆4600億キロメートルですから、えーとえーと、いったいそこはどこなんだ?!数字に弱い自分はもうすでにくらくらです。
 
 
さあ、よろしいですか、640光年離れているということは、今この2017年に見えているペテルギウスは、640年前のペテルギウスということになるのですよ。
 
 
 
 
冬の夜、肩を寄せ合う恋人たちの声が聴こえてきます。
「ほらごらん、あれがオリオン座だよ、キレイだね」
 
 
いいかキミたち恋人たちよ、そのペテルギウスは室町時代のペテルギウスなんだよ、知ってるかい。
室町の世から遥か640年の時をこえ、平成の恋人たちを照らすペテルギウス。まあ、ロマンチックなこと。
 
 
ところが!
このペテルギウスはいつ爆発してもおかしくはなく、いや、ひょっとしたらもう爆発しているかも知れず、ただあまりにも離れすぎているからまだその兆候が地球に届いていないだけ、だったりもして、というのがあるから恐ろしい。
 
例えば600年前に爆発していたら、あと40年後に地球に大影響が及ぼされるということとなるというのです。
 
 
 
「あのペルギウスのように僕たちの愛も永遠に輝かせよう」と囁くカレ。
しかし隣りのカノジョの恋心は、居酒屋の水割りのようにすっかり薄れていて「ごめんなさい。3ヶ月前からもう気がないの」と告げられる。
 
えー全然気づかなかった!と爆発してしまうのはカレの心です。
こういう状態を「ペテルギウスショック」といいます(ウソ)
 
 
そして、そんな失意に落ち込む者を慰めるときの定番の言葉が、
「そんな悩みなんて、宇宙の壮大さに比べたらうんぬんかんぬん」なわけで、やっぱり宇宙って偉大だね。

 

オリオン座はすでに消えている? (小学館101新書)

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星座の事典

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小松菜奈の魅力から考察するローカル広告制作者のあがき

打ち上げ花火、下から見るか横から見るかの答えが未だ出ていないように、『小松菜奈、可愛いのかそうでもないのか』もなかなかに難しく悩ましい問いかけです。
 
両目の感覚がちょっと広いのかなと思う。
前髪で隠されているが眉毛は太くGEJIGEJIっぽい。
三白眼のせいかどこか眠たそうな目元。
 
しかも笑顔を封印したクール顔は、生き血を求めているヴァンパイアのように妖艶でふらふらと吸い込まれる危険性もあり。
 
 
しかし、なんかいい。
胸元に「にく」とプリントされた白Tをチノパンにインしただけの装いで焼肉を食べるとどうしてこんなにも「ほれ、もっと食え」と言いたくなってしまうのか。てらてらと光る脂ギッシュな口元が許されるのは若さゆえか。
 
 
never young beachの「お別れの歌」はこれ、卑怯なMVだ。
歌がはじまるまで4分近くも小松菜奈を見せられて、歌がはじまってからも延々と小松菜奈づくしでどれだけ寂しい男どもを苦しめれば気が済むのだ。
こんなの演出でもなんでもなく卑怯だが、なんかいい。
「私に支点を与えよ。されば地球を動かしてみせよう」と言ったアルキメデスのように、「私に小松菜奈を与えよ。さえばめっちゃいいMVを作ってみせよう」と、負け惜しみを言いたくなる。
 
 
 
ロッテ乳酸菌ショコラのCMも、これまた卑怯だ。
ただ自転車に乗って吉田羊と、
「乳酸菌はチョコレートで取りたいときに〜取りたいところで〜」と叫びあうだけなのに、いいのだ。
吉田羊に追い抜かれるときの「あ〜」という顔、ふわ〜と空を見上げる顔、振り向いてショコラをかじる顔。
CM自体にはなんのアイデアもないけれど、この3カットがあることで印象度がぜんぜん違う。
 
 
ローカルでこんな企画をノンタレで提案してもGOが出るわけがない。
「それどこがおもしろいの?」と一蹴されて終わり。
タレントというだけで何やってもOKになってしまうところがかないません。
 
なんかいいの「なんか」の答えが明白なのが口惜しい地方の作り手は、
タレント、メジャークライアント、出稿量、音楽、クオリティ高いCG,セット以外で勝負するっきゃない。ちゃんちゃん。

 

その企画、もっと面白くできますよ。

その企画、もっと面白くできますよ。

 

 

パルクール→バブリーダンス→90年代CMパロディ。笑えるって平和だ

「にくたいへん」と打ち込んだら「肉大変」と変換されてしまって正しくは「肉体編」です。

優れた肉体ってそれだけでもう最大のパフォーマンスですね。

都会や空港や氷の世界もいいけど、その舞台を江戸の町にするだけで圧倒的におもしろくカッコよくなる。

 

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江戸の次はぜひとも明治!ということで「明治村」を舞台にやってもらいたいもんです。

市電にSL,監獄に帝国ホテルを明治の偉人に扮して駆け巡れば大注目まちがいなし!です。明治村さんお願いします。

 

 

 

 

「肉大変」もとい「肉体編パート2

すでにご存知の方も多いと思いますが「大阪府立登美丘高校ダンス部」バブリーダンスのPVが出た。

冒頭20秒でまずぶったまげて、あとはもうこれ、うなされます

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こんな自分にも「リゾートマンション買いませんか」としきりに営業が押し寄せていたあの不可解な時代も10代にとっては教科書のなかの単なる歴史の1ページ。彼女たちが真剣に踊れば踊るほど「じいちゃんばあちゃん正気だったの」と問いただされているようでお恥ずかしい。

 

こちらはダンス部の2016年傑作選。見ているだけで楽しくってカッコよくってこのノリはやっぱ大阪だから?

youtu.be

 

 

90年台は、真っ只中ですでに働いていた自分としてはもうお笑いネタになってしまうほど、「過去」なのか。

 

藤井隆さんのニューアルバム「light showers」

90年代の音楽をイメージして作られたらしく、収録曲がCMのタイアップ曲だったらの動画があった。

まさにこんな感じのCM作ってたな〜と振り返って大笑い。でも当時は真剣だったからおかしい。

spotlight-media.jp

『世界を変えるエネルギーは、私たちの中にある。』コールセンターの呼び出し音を変えただけで心は変わる

仕事柄コールセンターの撮影はたまにあります。撮影中にモニターを通して見るオペレーターのやりとりには「大変だな」の感想しかありません。
 
無理難題や理不尽な要求にも、笑顔(の声)で応対しなくちゃいけなく、このリンクの記事にあるように、
「私だって、家では普通のひとりの女性なのに。とても嫌だし、侮辱されているように感じていました」的ストレスは澱(おり)のように溜まり、回復不可能なまでに凝り固まってしまうことでしょう。
 
でも自分がカスタマーの立場でコールセンターに電話する時を思い出すと、電話口の相手を、誰かの家族であることを意識していない、となりゾッとします。
 
 
この動画のクライアント、韓国の石油会社はコールセンターの呼び出し音を音楽からこんな家族の声に変えたそうです。
 
「優しくて、働き者の娘がご案内します。」
「愛する妻が担当させていただきます。」
「世界で一番大好きなママが電話に出ますから、ちょっと待ってくださいね。」
 
すると、オペレーターのストレスは54.2%も軽減し、
また、オペレーターが感じるカスタマーの親切さは8.3%増加、きちんと尊重して扱われているという感覚は25%も増加し、オペレーターの、カスタマーへの期待値も25%増加したそうです。
 
 
コールセンターのカスタマーだけでなく、
子どもの声がうるさいからと近所に公園や保育園建設を反対する人。
赤ん坊の泣き声に顔をしかめる人。
電車内のベビーカーを邪魔者扱いする人。
店員さんへ横柄な態度を取る人。
自然災害で遅延したのに駅員さんに怒鳴る人。
 
 そんな人へ。
この動画の最後は、韓国語ですがこんなコピーで締めくくられています。
『世界を変えるエネルギーは、私たちの中にある。』

 

未来は言葉でつくられる 突破する1行の戦略

未来は言葉でつくられる 突破する1行の戦略

 

 

 

「下北沢ダイハード」を名古屋でやるのなら

下北沢で起きた人生最悪の一日を描いた「下北沢ダイハード」
毎回小劇場劇作家が脚本を書いているということで楽しみに観ている。


なんじゃこれ!とオモシロイのもあれば、見事に外れまくりスベリまくりの回もありで、それはほれ、「テレビ東京ダイハード」って感じです。

www.tv-tokyo.co.jp

 

しかし東京というところは地方人を洗脳させる街ですね。
下北沢も亀有も高円寺も赤羽も、なんとなく「独特の色」ってのが浮かんできてしまいます。どこも行ったことないけどそこを歩けばデジャヴュに頭がくらくらきそうです。

 

 

さて、名古屋に「色」はあるか?
「下北沢ダイハード」のようなドラマを名古屋でやるとしたらいったいどこなのか?

 

大須
円頓寺
今池
どれもピンときません。

 

となると、やはり、あそこしかないでしょう。
結婚する28歳まで生まれ育った、なにもかも闇の彼方に吸い込んでいく限りなく黒に近いあの一帯です。

 


ビックカメラ名鉄ニューグランドホテルのある名古屋駅西口からシネマスコーレを抜けてさらにずっと西に向かうと、そこには怪しげなアーケードがぱっくり口を開けて出迎えてくれます。


西銀座通り


「あそこにはひとりで行っちゃダメ」と、昭和の子どもに夜中のトイレのように恐れられていた、別名「駅裏」です。


駅裏を離れ、ン十年。さすがに今の駅裏は、その闇にいくつか明るい色がついてきたらしいですが、記憶のなかの駅裏はいつどんなときでも闇です。

昭和のあの頃、駅裏の少年たちは、それぞれ小さな懐中電灯を握りしめ、闇に呑み込まれないよう必死で足元を照らし続けていたような気がします。

 

 

 


まだ「中東の某国」の名で呼ばれていた歓楽施設。
通学路のあちらこちらにそれはあり、夏の夕方には店先で水撒きをするビキニ姿のお姉様方がいました。
「ボクたち」が通りかかると、お姉様方は山なりにしたホースの水でミストを作り、「シャワー!」と叫んで振りかけてくれました。さすがにホースの扱いがうまいもんです。

 

 


集団登校の時間に遅れた下級生を家に呼びにいき呼び鈴を鳴らすと、玄関の奥から現れるのは、その子のお父さんでもお母さんでもお祖父さんでもない人でした。
五分刈りの頭に、胸元を大きく開けたシャツを着たそのお兄さん(おじさん)は、こう言うのです。

「おう、ぼっちゃんか。今呼ぶから待っとりや」と。


夏にはそのお兄さん(おじさん)はランニングシャツ姿で現れます。ランニングシャツの白と入れ墨のコントラストは見事です。


でも、入れ墨は珍しくはありません。


内風呂のなかった我が家では銭湯によく行きました。そこで入れ墨は見慣れたものとなっていたからです。ただ父親から小声で「じろじろ見るな」とは言われました。

 


大学時代、コンパだの飲み会だので遅くなった帰り道、駅西銀座通りを歩く場合には、ストーカー恐怖に怯えるお嬢様のように細心の注意が必要です。
薄暗い電柱の陰からお婆さんが音もなく忍び寄ってくるからです。


お婆さんはタバコの吸いすぎで嗄れた声でつぶやくのです。


「おにいさん、若い娘いるよ」
ちょっとお婆さん、お婆さんより若い娘っていくつ?

 

 

駅裏を離れてン十年。いま駅西銀座通りがどうなっているかは知らない。

かなり明るく発展的になっていることでしょう。

でも私のなかの駅西銀座通りはいまだ駅裏のままです。

 


ホルマリン瓶をいっぱい店頭に並べてマムシを売っている店がいまもあるとは思えない。


無雑作に停められた自転車の荷台には、もう猿はいないでしょう。
(知らずに通りかかった時、猿に手を引っかかれた痛いトラウマあります)


酒焼けしたシワだらけのオヤジたちがたむろしていた立ち呑み屋はまだあるかもしれない。


なぜか土俵があった母校・小学校はとっくに合併でなくなってしまった。

 

 

子どもには直接的な関わりはなかったけれど、あの頃駅裏で生きていた大人たちは、毎日がダイハードだったんじゃないだろうかと思う。

 

「駅裏ダイハード」
名古屋でやるならここしかない。

deepannai.info

 

名古屋駅西 喫茶ユトリロ (ハルキ文庫)

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日本の異界 名古屋 (ベスト新書)

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名古屋はヤバイ (ワニブックスPLUS新書)

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攻めまくりのNHK 「ノーナレ」に圧倒される

攻めまくるNHK。その攻めの凄まじさに最近たじたじとなってしまったのがこれ「ノーナレ」。
 
ノーナレとはNo Narration。ナレーションが一切ないドキュメンタリーです。
明日8/21から3日連続で新作2本と過去作品1本の放送があります。
 
新作の「元ヤクザのうどん店」(21日)「町工場機械音✕ミュージック」(22日)も興味津々ですが、3日目再放送の「ミアタリ」(23日)は、初見のとき身震いしたほどの傑作で、みなさん必見です。
 
「ミアタリ」とは指名手配犯を顔写真だけを手がかりに雑踏から見つけ出す大阪府警の「見当たり捜査」のこと。
毎日ひたすら何百枚もの顔写真を見返し、整形しようが髪型変えようが年齢を重ねようが生涯変わることのない目元(眼球)を記憶に刻み込んでいく。
そして歩き見張り、雑踏から一致する人物を発見していく。
 
その姿はストイックにトレーニングを繰り返すアスリートのようで、圧倒的です。
 
 
顔認証システムとかのデジタル技術でも人物特定はできるのだろうけれど、ミアタリと大きく異なるのは、そこに<絶対に捕まえてやる!逃がせへんで!>という使命と執念があるかどうか。
 
密着する見当たり刑事の、「こいつらはみな友だちだ、会いたいんや」なんていう言葉はホントに重く、もし指名手配犯がこのテレビ見てたら絶対に大阪から逃げ出しちゃうに違いなし!
 
 
こういう番組、というか素材には、たしかにナレーションは不要です。
ナレーションはわかりづらいところを説明したり、心情を代わって伝えたりと親切ですが、時にその親切心が仇となり、思考を妨げたりもします。
対して「ノーナレ」は、作り手の主観が押し付けられない分、観る人それぞれが考えなくちゃいけません。
 
「ミアタリ」や「元ヤクザのうどん店」や「ストーカー加害者」(ノーナレで一度放送されたこちらも傑作。今回再放送はないみたい)のような、一般には知らない世界はなるべくならば作り手の主観を排除した客観でまずは触れてみたい。
 
わかり易さが求められるテレビでは、ありそうでなかった画期的な試みです。
ぜひぜひみなさんご覧を。見終わったら語りたくなってしまう、ですぞきっと。
 

 

見当たり捜査官 (双葉文庫)

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刑事眼―伝説の刑事の事件簿?

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「そうして私たちはプールを金魚に、」に抹殺された【いつかきっと】の金魚事件

「プールに金魚を放して一緒に泳げば楽しいと思った」
 
2012年夏、埼玉県狭山市で、4人の女子中学生が夏祭りで余った金魚を譲り受け、学校のプールに放す、という事件が起きました。
 
当時そのニュースに接し、真っ先に頭に浮かんだのは、
青く光るプールに浮かぶ仰向けの女子中学生たちの小さな身体と、その周りを自在に泳ぐ数百匹の金魚、というビジュアルでした。
 
そんな想像が膨らんでしまったらもういけません、この<女子中学生金魚事件>は自分のなかの【いつかきっと】フォルダに保存です。
 
 
いつかきっといつかきっといつかきっと。
 
一年に一回ほどフォルダから引っ張り出してあれこれ想像を走らせますが、大して膨らみもしないまま再びフォルダに保存し直して、またいつかきっといつかきっとと、<女子中学生金魚事件>は熟成の眠りにつきました。
 
 
それから4年後の2016年、ショッキングなニュースが飛び込んできました。
この<女子中学生金魚事件>が映画化されたのです、しかも!サンダンス映画祭ショートフィルム部門グランプリという栄誉とともに。
 
タイトルは、「そうして私たちは金魚をプールに、」
うわ、まんまじゃん。
あまりにもまんま過ぎてもう逃れようありません。
 
自分のなかの<女子中学生金魚事件>は、もうこれで永久にフォルダから出されることはなくなりました。抹殺です。
(忘れた頃の20年後辺りにまた復活するかもしれませんがとりあえず)
 
 
 
こういうときなんて叫べばいい?
先を越された!?
なーんてセリフはどの面さげて言える?言えやしない。先を越されるもなにも、ただ<気になる>と心のなかで思っていただけで、同じスタートラインにさえ立っていなかったのだから。戦いの場に立つことさえしない完全敗北者です。
 
 
 
結局前に進むことのできる人と立ち止まってばかりの人との差はここにあるんでしょうね。
いくら頭ン中に、とんでもないぶったまげる時代を鋭く切り立った、そんな発想が渦巻いててもカタチにしなけりゃ無いと一緒。
いつかきっといつかきっとと思い続けてなにもしなければなにも生まれない。
 
そうこうしている内に、どこかのパワフルな人がカタチにしたら「先越された」「俺も同じこと考えてたんだ」と醜いいいわけを口にするのがオチ。
 
 
見る前に翔べ!
 
分かってます、分かってますって。
分かっていてもやれない人もいるんです、ここに。
もしも〜だったら、〜になったら、〜してからのほうがいいな、と計画だけはしっかり人間。
To Doリストばかり作っては安心しちゃうスケジュール人間。
 
人生本、啓発本にはそんな人たちの背中を押してくれそうなタイトルがズラリと並んでいます。それだけ<行動になかなか移せない>人がいるってことか。
 
読んだあとは「よし!やっぱり!まずは行動!」とその気になるが、結局は邪魔するのは「性格」ってやつ。
 
翔べない者は自分からは翔べない。
周りからそういう状況に追い込められないと翔べない。
仕事だったら、締切や信頼関係や生活のために跳べるんだけどね。
 
 
 
 
で、この映画「そうして私たちは金魚をプールに、」
 
内容もショッキングでした。そうか、こう来たか。
 
演じた子たちがどれだけセリフや行動に共感したかなんて、おそらく監督にしたらどうでもいいこと。
監督の長久氏はインタビューでも「自己満足」と応えているから、俺はこうだ!で押し通しているところが心地よい。
 
 
夏祭りの夜店の木枠の中で窮屈そうに泳ぐ金魚の開放は、狭山という閉塞感たっぷりの街でくすぶる自分たちの開放、と言いように無理やりテーマらしきものを見出すことできるけど、そんなのホントはどうでもいいんだろうな。ただやりたかったことをやった、というだけのような感じで、それでも「私はいま生きている」と。
 
 
およそ20年前の映画「ラブ&ポップ」(庵野秀明)を思い出してしまった。
モノ目線のカメラ、モノローグ、強引奈カット割りと編集、そしてなんといってもラストの4人歩きの正面受けドリー。
意識したのかどうかは知りませんが「ラブ&ポップ」の匂いがプンプンしてきてまた見直そうという気分です。

 

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