壮大なる集団心理の実験の場と化した渋谷の夜。
顔と姿を隠せば平気。
誰かと一緒ならば平気。
今夜だけだから平気。
あの実験に意図せず参加してしまった人たちに共通しているのは、その他大勢という匿名性。だからなにやっても平気で、集団心理のなかでの平気は兵器となっていくことは過去を振り返ればいくらだって見つけることはできます。
少し前に見たドキュメンタリーで「記憶の澱」という大傑作があります。山口放送が昨年制作したドキュメンタリーで、今年日本放送文化大賞のグランプリを獲りました。
なにげに見出したらもう釘付けとなり今でもずっしりと重いものが残っています。
これまで戦争の証言は被害の証言が多かった。
被害の証言を聞き、その悲惨さに心痛めてきたのですが、いや実は、日本人も同じことを占領地の人たちにしてきたのだと、この「記憶の澱」は、被害と加害の証言で構成されています。
ソ連兵の日本引き揚げ女性を輪姦。自分たちの命を守るために女性をロシア兵に差し出す。
などなど、被害と加害の証言が多く語られていきます。
ひとりの老人の証言が記憶に残っています。
「戦争は死しか考えない。先のことなんか考えない。今のことだけ考える。やらなければやられる。だから命令に従う。女性を知らないまま死ねない。だから慰安の場に行く。戦争という場の集団心理が狂わせる」
大げさかも、考えすぎかも、ですが、場と時代と環境が異なるだけで人間は誰だってこうなるかもしれないってことをまざまざと考えされせられました。
渋谷のあの人たちよ、いま冷静になっているならば、この「記憶の澱」を見せてあげたい。