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顔に重度の障害を持った少年の物語「ワンダー」からできることを考えてみる

予告編を見てとても気になった映画「ワンダー君は太陽」。
原作の「ワンダー」(R.J.パラシオ)を読みました。
ワンダー Wonder

ワンダー Wonder

 

 

主人公オーガスト(オギー)は、遺伝子疾患により顔に重度な障害を持っている10歳の少年。
 
その障害の描写を一部引用すると、
 
目は頬の真ん中近くにあり、鼻は不釣り合いに大きくぽってり肉がついている。耳のあるべきところはへこんでいる。頬骨はなく、口の周りは口蓋を治す手術を何度も受けた跡が残っている。
 
これまで、ネズミ少年、奇形、怪物、E.T,トカゲ顔などと散々呼ばれてきた彼が、はじめて学校に通うこととなり、その一年間を描いた小説(フィクション)です。
 
 
こうした障害を持つ主人公であるから、ある程度のストーリーは予想できます。
いじめや差別に遭い、でも家族や先生、友だちに支えられてたくましく生きていく、というストーリーが。
 
たしかに物語の終わりはとても清々しく微笑ましく感動的です。
でも、ただ「良かったね」では済まされない何かが、いま、心の奥底に残っています。それはけっして後味が悪い、という類のものではありません。
なにか、どうしてもすくい切れず残ってしまった重たい澱のようなものが、頭のなかでぐるぐる渦を巻いている、そんな感じなのです。
 
 
なぜ?なにがそうさせるのか?
 
 
「ワンダー」は、章ごとに視点が変わります。
同じ出来事が、主人公オーガストだけでなく、姉、姉の恋人、学校の友だちらの視点で進行していきます。
家族だからという無条件の愛情や博愛という言葉では片付けられない複雑な思い、たまたま同じ学校になってしまったという戸惑いや同情などが、順に語られていきます。
その視点は、一人称で書かれているから、時に正直で時に残酷です。
 
彼らはみな、深い浅いの差はあれど、オーガストと関わり合って今を生きている人たち。
自らの人生のなかで、多くか一部か、オーガストが存在している人たち。
オーガストがそこにいるからオーガストとの距離感のようなものを考えてしまう人たち。
 
 
それらは美しく愛に満ちているものばかりではなく、ふとよぎる邪な思いがあったりと、正直かつ残酷です。
そしてこれらが、読む人のだれもが持っている感情と重なりあい響いてくるのです。
同時にこんな問いかけが投げかけられます。
 
「自分ならどうする?」と。
 
 
 
 
 

数年前のことです。

ホームにやってきた地下鉄に乗りこむと、どこからかビートルズの「HELP」が聴こえてきました。ヘッドホン音漏れなんていう生易しいレベルじゃなく、スピーカーからの音です。
出どころは?と見ると、座席に座る青年が掲げるラジカセからでした。しかも青年は、曲に合わせて大きな声で歌っている。
 
 
乗客はさぞかししかめっ面、かと思って見回すと、おや?空気が変です。
誰もが彼の存在をいないものとして受け止めているような、そんな雰囲気さえ感じます。
その青年が強面だから?注意すると逆ギレの危険がありそうだから?
いいえ、むしろ逆です。見るからにか弱く細身の青年です。
 
 
 
その訳がわかりました。青年はおそらく、知的な部分で障がいがあるようです。
 
地下鉄車内でラジカセを鳴らし大声で歌う。
そんな行為だけを見ると、公共の場ではけっして許されるものではありません。乗り合わせた多くの人が迷惑を被っています。ヘッドホン音漏れなんてレベルを超えてます。
でも、車内の誰も、見て見ぬふり、いえ、その存在自体いないかのように振る舞っているのです。
 
たまたま同じ車両に乗り合わせた自分もすぐさまその仲間入りです。
そして思ってしまったのです。
厄介な現場に居合わせちゃったな、と。
 
 
 
本当にわからない。
こういうときどうすればいいのかが。
 
 
 
行為だけを捉えて注意すべき?でも、どんな言葉で注意すればいいの?
いわゆる常識的な説得が通じるのだろうか、説いて理解してもらえるだろうか。
おそらく言葉は行き場を失って過ぎ去っていってしまうだろうし、となると考えてしまうのは、見て見ぬふり、というやつ。
自分のなかにその存在を受け入れるなんて事をせず、はじめから無かったものとしてしまうこと。
 
 
ああ、こうして書いていてなんて残酷な、と思いながらも、同時にこれが正直な気持ちなんだろうなというような、複雑な感情さえも抱いてしまいました。
 
 
同情・憐憫・不憫・哀憫とかの言葉で、その存在を受け入れてしまうこともできます。
でも「ワンダー」を読み終わった今、そのとき抱くべきだった言葉(感情)は、ひょっとしたらもっとシンプルな感情だったのかも、と思っています。
 
 
それは「親切」
 
 
「ワンダー」は修了式で終わります。校長がこんな言葉を語ります。
以下要約ですが。
 
 
いつも、必要だと思うより、少しだけ余分に人に親切にしてみよう。ただ親切なだけではじゅうぶんではなく、必要だと思うより、少しだけ余分に親切に。
親切である能力、親切であろうとすることを選ぶ能力は、どうやって測るのか。ものさしでは測れない。
どれだけ身長が伸びたとか数字で示せるものではない。親切であったかどうか、どうしたら分かるのか?そもそも親切であるとはどういうことなのか?
 

 

ここで校長はある物語の一部を引用します。
それは、登場人物のひとりが主人公を助ける場面です。
 
このような瞬間(助けたとき)に、(主人公は)人の形を借りた神の顔を見た。
親切の中にかすかに現れ、熱意の中で輝き、心遣いのなかで気配を見せ、じつに、まなざしのなかで優しく撫でる。
親切というのは、とても些細なこと。必要なときにかける励ましの言葉、友情にあふれた行為、さりげないほほえみ。
親切という小さなことの価値を理解しよう。
いつどこにいようとも、必要とされる以上に親切にしようということを規則にしていれば、世界はもっと素晴らしい場所になる。そして、もし、きみたちが実行したら、それぞれが一步踏みこんで、必要だと思う以上に親切にしたら、いつか、どこかで、だれかが、きみたちのなかに、きみたち一人ひとりのなかに、神様の顔〜それぞれが信じる普遍的な善の象徴〜を見るのかもしれない。
 

 

 
多くの物語のなかでは、主人公は変わっていきます。物語のはじめと最後で、主人公は成長し変化します。
 
でも「ワンダー」の主人公オーガストは変わらない。顔も変わらない。そのまま。
ただひとつ、オーガストの周りが変わった。
 
確かに自身の能動的な働きかけでいろいろなものは変わっていくのでしょうが、そうではなく、周りが変わっていくことだってあります。
 
 
最後、修了式である賞を受賞したオーガストは心のなかで思います。
 
どうしてぼくが選ばれたのか、よくわからなかった。いや、そうじゃない。ほんとうはどうしてだか、わかっていた。
だれかを見かけて、もし自分がその人だったらどうかなんて、ぜんぜん想像がつかないってこと、あるよね。
車椅子の人や、話せない人を見たときとか。
そして、ぼくがほかの人にとってそういう存在なんだってことくらいわかっている。ボクはそういう人間だ。
でも、ぼくにとって、ぼくはただのぼく。ふつうの子ども。
うん、だけど、ぼくがそのままのぼくでいることにメダルをくれるっていうんなら、それでいい。喜んでもらうよ。
(中略)ただ五年生を無事に終えただけなんだけど、それって、かんたんなことじゃないんだよね。べつにぼくじゃなくても。
 

 

 
「親切」という言葉がこの物語を通じて心に残りはしたが、ならばあの時地下鉄の中で自分ができた親切とはなにか。の答えはまで出てきていません。
それは行動によって示すものだけでなく、心のなかで思うこともあるのかもしれません。
心のなかで思う親切。う〜ん、でもまだよく分からない。
 
 
 
「ワンダー」は、日本では小学校高学年の課題図書に認定されています。
でも、この本は子どもだけの本にしておくにはもったいない。多くの大人たちも読むべき本だと思います。
 
障害だけにかかわらず、これだけ多様性に満ちてきて、その多様性が表にではじめているなか、そういう人たちとの関わり方に戸惑いを多くの人が感じています。
自分とは違うから、常識と外れているから、普通じゃないからと排除したり区別したりと、それは残酷で、でも正直でもあることも確か。
 
 
映画「ワンダー君は太陽」は、アメリカではすでに公開済みで、高い評価を得ているようです。でも、オーガストと同じような障害を持った人たちからは、過酷な現実を無視している、感動ポルノだとの批判もあるようです。
 
やはり立場が違うと受け止め方も異なります。当事者でないからすべてを同様に捉えることはできないことも現実。
でもまずは知ること。知って考えること。それだけでも無駄ではないと信じたいです。
 
それもひとつの「親切」だと思いたい。
 
 
日本では映画は6月に公開の予定らしいです。映画を見る前でも見終わった後でも、「ワンダー」を読んでみて、誰かと話してみることが大事のような気がします。そして、自分は登場人物の誰と近いのか、「自分だったらどうする?」と問いかけてみる。
そこから何かがはじまりそうな気がします。

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