コロナ時代の撮影を考えてみる

テレビCMのいくつかがACジャパンに入れ替わっている今日このごろ、皆様方におかれましては…‥ 
いかがお過ごしでしょうか。
 
 
当方におきましては4月に予定されていたいくつかの撮影が、ポポポポーンとはるか彼方へ飛んでいってしまい、いつか戻ってくるのかどうかさえ不明です。
 
 
5月の連休明けあたりからスタートする予定だった、某地方都市を舞台としたMV(ミュージックビデオ)撮影も、緊急事態宣言が解除されるまでペンディングとなっています。
 
 
 
映画「人間の証明」のキャッチフレーズというか主題歌の「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」の詩で知られる西條八十が、おそろしい詩を書いています。
 
 
♪〜唄をわすれたカナリヤは うしろのやまにすてましょか〜
♪〜唄をわすれたカナリアは 背戸の小籔に埋めましょか〜
 
 
しばらく撮影現場から遠ざかり「ヨーイ!スタート!」の掛け声を忘れたディレクターも、後ろの山に捨てられ埋められそうでビクビクです。
 
 
 
 
今のところ、緊急事態宣言が解除になれば、その某地方都市舞台のMV撮影は再開される予定ですが、コロナ蔓延以前のストーリー、シーン設定、演出のままでいけるのかどうかが微妙となっています。
 
 
感染収束はしばらくありえないと思われ、となるとコロナとの共存しかなく、その共存はこれまで通りの生活スタイルというわけにはいかず、新しい生活スタイルに上書きされた形での共存となります。
 
新しい生活・価値観のいくつかは、やがてスタンダードとなっていくに違いありません。
 
そうした新しいスタンダードを今後の撮影で無視することはできません。
 
 
 
 
撮影予定だったMVは、その町に暮らす女子高生を主人公とした、この町が好き、的な青春ストーリー。
 
 
学校の教室で踊り場で渡り廊下で、
町の外れの坂道で、
夕日の沈む堤防で、
カラフルな水着で賑わう砂浜で、
今も残る古い街角で、
そんな町のあちらこちらで、
主人公の女子高生は、友だちとカレと訳知り顔のカフェマスターと地元の人たちと日々を過ごすわけです。
 
 
 
当然のことながら「青春」ですから、
はしゃいで、飛んで、叫んで、歌って、
コクってコクられて、手をつないで、
自転車乗って、自転車押して、坂道転がして、
しょげて、泣いて、手を振って別れて出会って、
寄り添って同じ曲聞いて、バスに乗り遅れて、
そして走って走って走るのですが…
 
 
 
いま、とても悩んでいます。時期が時期だけに揺れています。
 
 
フレーム内に人数多く入れ込まないほうがいいのか?
 
人物と人物の距離感はどうしよう。
近すぎても望ましくない、遠すぎてもさびしい。
人物同士の関係以外のところで迷わなきゃいけない。
 
耳寄せて内緒話、なんてのはこの時期、あり?なし?
絵的にはあり、でも演者が嫌がる場合もあるかもと、選択肢から外す。
 
ああ、悩ましい。
 
 
 
 
 
「さようなら、またいつか」と呟いてから互いに握手をしよう、なんて演出はワンカット撮るごとに互いに手洗い消毒をしなくちゃいけないから止めとくか。
 
ホント悩ましい。
 
 
 
 
 
まさか、マスクありの青春を描く、ってのも悲しすぎる。
 
どえりやー悩ましい。
 
 
 
 
 
なによりも気をつけなくてはいけないのが、これ。
大人数が密集密着している撮影風景を見かけた人たちのなかには自粛警察がいるかもしれず、「なにヘラヘラ撮影してんだ」と通報されてしまったらこれまた厄介である。
 
どんな人に見られているかわからないので、スタッフは皆、消毒液持参で常にマスク着用というスタイルだけはキープしておいたほうがいい。
 
 
 
そして、出来上がった作品は注釈テロップだらけとなり、まさに2020夏の記録となって歴史に刻み込まれていくのだ。

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