「なんでもできるってことはなんもないのと同じだよ。何もない広い土地に行くのと同じだからな。自分で土を耕す方法を覚えて作れる種をみつけて、それを手に入れないと何もできない」
なんでもできるアニメーションの可能性に惹かれていくなつ(広瀬すず)と、
アニメーションという新たな土地を耕して種を植え始めた戦後日本の勢いが、
このまま必然的に交わっていくんだ!ということを示す5月8日の「なつぞら」。
加速の予感を感じさせる回でした。
当然この先、なつは東京へ行き、アニメの制作会社に入るのでしょう。
そして、あーでもないこーでもないなんだかんだがあって、どうだろう、最終的には北海道へ帰ってくる【行って帰る】の物語なのでしょうか。
と、「なつぞら」のこれまでとこれからを考えると、既視感が満載です。
「半分、青い」も岐阜を捨てて東京へ。マンガの世界へ。
「あまちゃん」も岩手を捨てて東京へ。アイドルの世界へ。
ストーリーだけに注目すると変わりません。土地と向かうべき世界が異なるだけです。
これはもう単純に、細部、でしかないのです。
細部とはキャラクター。
頑張っている人。
行方不明の人。
邪魔する人。
無愛想な人。
親切な人。
助ける人。
あこがれの人。
お節介な人。
おちゃらけの人。
変な人。
励ましあう人。
裏表ある人。
謎の人。
面倒な人。
くじけない人。
出会う人。
別れる人。
こうしたキャラクターが、
どこかで見た物語を
【あーでもないおーでもないなんだかんだ】のエピソードのなかで絡み合い、
ぐいぐいと前へ引っ張っていくのです。
それはもう、どこかで見たことあるを忘れさせるパワー、脚本家(大森寿美男)の力量ですね。
地方でなにかやってる子が東京へ行って挫折しながら成功する。
というストーリーは誰だって考えつきます。
問題は【あーでもないおーでもないなんだかんだ】の部分を作れるかどうかなんです。
小説とかマンガとかフィクションをやっていると、たまに人からこんなことを言われるそうです。「いいアイデアあるんだけどあげようか」(いらねーよそんなの)「あげようか」と言ってくる人のアイデアは、植物でいえば種子を意味する創造のアイデアで、なんでも考えられる最も楽しい部分。創作者が必要としているアイデアは、植物でいえば種子の育成ノウハウを意味するアイデア。種子をいかにして大きくするか、肥料を工夫するか、水の頻度はどのくらいか、など「つじつま合わせのアイデア」創作活動において最も大変でだるく、試行錯誤を要し、考えに費やされる時間の大部分を占めるもの。
5月8日放送の「なつぞら」でいうと
なつが言っていた「アニメってすごい。なんでもできるね」が前者。
天陽くんが言っていた「なんにもない土地に行って耕して種を見つける」が後者ともいえます。
さすが天陽くん。さすが大森寿美男。
このセリフは、創作ということを考えると、非常に重く意味深く重要です。
「なつぞら」のなかで、天陽くん一家は土壌が悪いため北海道を捨てようとしていました。
でも諦めず土地を耕して、9年経ってようやく作物ができるようになりました。
そんなエピソードが子ども時代に描かれていました。
ああ、そうなんです、あのエピソードがあったから5月8日の天陽くんの(冒頭引用の)セリフが重みを持って、なつにも、視聴者にも響いてくるのです。
そして今日、天陽くんは、僕たち一家が9年かかってやっとできたことを、「なつよ、君は考えているんだよ」と例え話を通じて伝えています。
「私にできるわけがない」「無理無理無理」と、思わずウッチャンに「なつよ、そんな顔で笑うなよ」と言わせてしまう顔で笑うなつ。
ただ静かに見つめるだけの天陽くん。
「9年前僕たち一家は、土壌が悪い北海道の土地を諦めようとした。でもみんなの助けでなんとか、9年かけてここまでできた。だから、なっちゃん、君だって」
とは言わない。
言わせない。
でも、みんなわかっている。
なつも、天陽くんも、見ている視聴者も。
本日5/8ラスト数分のやり取りだけでもう、「なつぞら」は、物語を埋める細部の確かさ丁寧さに優しさに満ちあふれていることがわかります。
とりいそぎここまでは、傑作です。

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