ネットで知り合った男からやさしい言葉をかけられたり、相談にのってもらったりして、「ぼくのこと信用しているなら裸の写真送って」と言われ、応じてしまった少女。
消してあげるから会おう、との誘いに、そんな彼女が心配な男友達は、
ついていっちゃダメ、と止めるが、
じゃあアンタは何してくれるの、この人は消してくれるんだよ、行動してくれるんだよ、と言い返され、彼は何も言えなくなってしまう。
そんなドラマと、ドキュメンタリーを融合させたETV特集「ある子ども」
実際の被害をもとに、専門家らの監修と出演者らとのワークショップから
作られたドラマは、(おそらく)リアルで、心が苦しくなってしまいました。
さびしい、居場所がないという弱みにつけこむグルーミング。
いかに裸の写真を送らせるかという攻略ゲーム感覚の手口。
下心だけでなく真からの親切心も混じっているという難しさ。
天使の顔をした悪魔たちは、居場所のない子どもたちの隙間にするっと入り込んでくる。
そして、メッセージのやりとりを通じて築かれた(偽りの)信頼の証として
「信用してくれてるなら裸の写真送って」とささやく。
会ったことのない大人にそんな写真を送るなんて信じられない。
と、ふつうだったら思う。
ふつうだったら。
でも、ふつうじゃなかったら?
相談にのってもらったし、
手を差し伸べてくれたし、
やさしい言葉をかけてくれたし、
だからお願いには応えなきゃ、だったら。
ドラマのなかで先生や男友達は、
「なんで返信したの」「なんで送ったの」「なんで会ったの」と、「なんで攻撃」をしています。
「なんで、なんで、なんで」と問い詰められ、少女は叫びます。
「なんでって聞かないで」
「なんで」が恐ろしいのは、それが理由を尋ねている顔をしながら、 実際には責めている言葉へと姿を変えて届いてしまうこと。
「なんで」と問われると、自分がしたことを振り返らざるを得なくなり、
SNSで知らない人とつながってしまった自分が悪かった、
メッセージのやりとりをした自分が悪かった、
写真を送ってしまった自分が悪かった、と 自分自身を責めの対象にしてしまう。
ドラマでは先生が「知りたいからなんだよ」と言うけれど、もうすでに自分で自分を責めるモードに陥ってしまっているから冷静にはなれません。
このドラマのようなケースに限らず、
「なんで」は、自分もつい反射的に言ってしまうことがあります。
「なんで忘れたの」「なんで遅れたの」「なんでやらないの」などなど。
しかも、時に、「なんで」に対して素直に理由を答えられると 「言い訳するな」と、より強く責めてしまうこともあったりして。
ああ、思い出してもぞっとする。
このドラマは、写真を取り返すとか、男が捕まるとか、ネットの怖さを反省するとか、そんななんらかの解決を示さず終わります。
だからなのか、劇中で繰り返される「なんで」がとても虚しく響いてきます。
さらには、きっかけとなったSNSも問題視にはしていません。
そこに大きくフォーカスを当ててはいません。
SNSだろうが、リアルだろうが、悪いのはただひとつ。
ドラマのラストのひと言がまさにその問いかけで、かなり深い余韻を残してくれました。
ETV特集「ある子ども」
再放送あります。2月24日(木)午前0時から。
NHKプラスでも見れます。
そうそう、ドラマ部分の制作は、是枝裕和監督の会社・分福だそうです。