壮大なるドッキリは終わりました。さあ2020年本番のはじまりです

2019年の、たしか夏の終わりだったろうか、「次これだから」と、分厚い台本を渡された。
タイトルを見ると「2020」とある。
 
なるほど、オリンピック開催を舞台とした社会派ドラマか、
それとも、20歳になった2000年生まれの女性と老いらくの恋にでも落ちるラブロマンスか。
さて、オレの役どころは…と読み始めた、ら、
驚いた。
 
 
はぁ。
そんなバカな。
いくらなんでも。
まさか。
ありえない。
 
 
だれっすか脚本家は?!こんなふざけた物語、ウチの猫でも考えない。
あ、カントクカントクちょっと待ってなんすかこれ、リアリティの欠片、どこかに置き忘れですか。
 
 
 
ほら、見てくださいこんな2020年。ありえます?信じられます?
 
 
 
 
 
全人類のマストアイテムがマスクになるぅ?
オリンピックが延期になってしまう?
外出自粛とやらで銀座、渋谷から人が消える?
何百億かけて役に立たない布マスクが配られる?
一年間首相が国会でウソをつきまくる?
リーダーの評価がテレビでの露出に影響される?
食事の席に透明アクリル板を立てる?
ZOOMとやらで自分の顔見ながら打ち合わせをするぅ?
入学式卒業式忘年会やライブ、イベントがことごとく中止になる?
受験に合格してもキャンパスに行けない大学生活が続く?
有りも無しもすべてエビデンスと言っておけば通用する?
政治家が日本語の破壊をはじめる?
 
 
 
 
 
そりゃあね、役者ですから、第5話で自分が死ぬこと事前にわかってても知らないふりして演じますよ、第3話で結ばれる相手への第1話での表情とセリフには”なんとなく”を匂わせますよ。
 
でもね、この物語のあまりの荒唐無稽ぶりには演技プランの立てようがありません。
 
マスク越しでは唇の端を使った微妙な演技できないし、
アクリル板はさんでの愛のささやきは加減が分からない、
しかも2メートル離れた相手に小声でつぶやくって音量どのくらいがいいんですか、音声さん。
 
 
 
 
というわけで、
事実は小説よりも奇なり。
が、
ホントにやってきた。
 
 
そしてあっという間に過ぎ去っていく。
さっき貴重なマスクを洗ったかと思ったら乾かないうちに12月30日。
 
 
 
振り返れば何もしなかった一年。
何も刻まれなかった一年。
時間だけが早送りで過ぎていった一年。
 
 
テレビ見て配信の映画見て本読んで、走るか!と始めたジョギングも2週間で挫折して、毎日伝えられる棒グラフ眺めて、たまに乗る地下鉄でもひとつ空きの席には座らず離れて立ち、家に帰るとマスクを洗い、いつの間にか閉店した近所のステーキ店オーナーの心の内を思いはかる日々が積み重なって幕を閉じる。
 
 
こんなにも時間があったのだったら、あれもできた、あれもやっておけばよかった、あれにチャレンジすればよかったは、後からいくらでも言える。
 
 
年が明けて、台風一過のように澄み渡る青空が広がっていればいいが、グラフによって可視化された波は衰えることなく押し寄せ、逃げ込む高台ははるか遠い。
 
 
もう二度と体験したくないけれど、もう一度今年の春に戻ったなら、何か、何かは分からないけれど何かを残そうと取り組んだと思う。
 
 
思うけれど、いざそうなったら、また同じようにだらだらと時間だけをむさぼり食い、後悔を繰り返していくんだろうな。
 
しょーがない、だって凡人だから。
 
おそらく凡人と非凡の違いはそこにあって、時間を有効に活かせる人だけが輝いていけるんでしょう。
凡人が残せるものは後悔。
ただ後悔が部屋の隅で綿ぼこりにまみれてふわふわ舞っている。
 
 
 
 
それにしても、2020年はほんとに365日あった?
途中の数ヶ月が、気づかぬうちに誰かに中抜きされてしまったのでは、と思えるほど早かった。
そもそも2020年は存在したのか。壮大なドッキリ、だったんじゃ。
 
 
 
 
2020年12月31日から2021年1月1日に変わるその瞬間。カウントダウンが流れる。
 
10、9,8,7,6,5,4,3,2,1
 
ゼロの声とともに、こんなメッセージがどこからか届く。
 
 
 
 
「あけましておめでとうございます。
みなさん、いいですか、リハーサルは終わりました。
今年は2021年じゃぁありませんよ。
リクエストにお答えして、もう一度2020年をお届けします。そうです、本番です。
一年をかけたリハーサルで、何が良くて何が悪かったかもう十分理解できましたね。
偽りの2020を繰り返さないために、リハーサルの失敗と反省を生かして、先手先手で!今一度2020年を迎えましょう。
では、リセットボタンを押します。
皆さん準備はいいですか。2020年本番!ヨーイ!スタート!」