綿矢りさ『嫌いなら呼ぶなよ』から「老は害でも若も輩」〜老も若も同じ輩・同類なんだ

いわゆる年寄り、と呼ばれる年齢でなくても、相対的に相手より年齢が上となるとそれはもう「老」であり、その「老」に、さらに難癖や説教や嫌味が加わると、「老害」となってしまう。
ところがですね、「老」だってむやみやたらと難癖つけたいわけでも、説教したいわけでもないわけです。そうぜざるを得ないときだってあるんです。
 
 
 
綿矢りささんの新作「嫌いなら呼ぶなよ」は、4つの短編が収められていて、どれもが面白くてお薦めなんですが、なかでも笑えて、かつ身につまされてしまうのが、最後の一編「老は害でも若も輩」
37歳の女性作家(綿矢りさという名〜有名・最年少芥川賞作家)に雑誌のインタビューをし文章にまとめたのが、42歳フリーライターの女性。
和やかなインタビューから一転して、まとめられた文章を見た37歳作家は、こんなのダメ気に食わない、と全文を書き直してしまう。
 
当選42歳フリーライターは激怒します。
 
 
さて、雑誌のインタビューだから、両者の間には依頼主の編集者がいます。
その26歳男性編集者は、ヤバい、締切に間に合わない、となんとか両者を収めようとするのですが、こっちにいい顔してあっちにもいい顔してと煮え切らない。
 
 
そんな及び腰の編集者の態度に、37歳作家と42歳ライターは互いのバトルをいったん隅っこに置いといて、あんたねぇ、と怒りの矛先を転換し始めるのです。
 
 
 
 
依頼主であるあんたは自分の意見はないのか!
会社の陰に隠れて、会社に守ってもらって傍観するだけの卑怯者だ!
黙ってないで骨のあるところを見せろ!
依頼主であるはあんたが仕切るべきだ!
 
 
 
 
年功序列が残る)会社内ならば年齢順(とキャリア順)と基本上下関係が明確だけど、スキルを求める外部発注となると、もちろんそんな方程式は当てはまらない。
 
 
37歳作家と42歳ライターは、発注者ー受注者、依頼主ー非依頼者の関係を気にすることなく依頼主を攻めるわ責める。
 
 
依頼主であり発注者であるのになんで俺が攻められる、と26歳男性編集者は、あーめんどくせぇ、と愚痴るは愚痴る。
 
 
 
編集者は思うのだ。
老害に年齢は関係ない。
14歳であっても10歳の新入りに対して「あの子、調子に乗ってない?」と口にする時点で、14歳だって老害の仲間入りなんだ、くそ、と。
 
 
 
 
なんらかの集団における関係性の中での一番の若手は、年長者から責められることを簡単に「老害」として片付け、拒絶や軽蔑や憐れみの感情を抱くのでしょうが、この短編においては、タイトルが「老は害でも若も輩」であることからどっちもどっち。
 
年齢とは関係なく、本来仕切るべき立場のあんたが何もしないからこうなったんだ、と責めるのは「老」側からしてみれば当然の主張で、主張する側を単にあんたよりも年上だからといって「老害」だなんて軽々しく吐き捨てられちゃたまんない。
 
「老」はたしかに「害」かもしれないけれど、「若」だって同じ仲間・同類の「輩」なのだ。
 
 
 
 
この短編は読む側が「老」側なのか「若」側なのか、また年齢に関係なく、仕切る側か仕切られる側かでも、笑いや刺さるポイントが大きく異なるように思えます。
 
 
 
私はフリーランスで、地方で広告映像の演出という仕事をしています。
クライアント、代理店、プロダクション(プロデューサー)という依頼主のもと映像制作をしています。
なかでも直接仕事の発注をいただくのは、プロダクションのプロデューサーで、最近ではほとんどが年下です。
10歳以上、なかには20歳近く年の離れた若手プロデューサーもいます。
 
 
 
「老は害でも若も輩」を読みながら、煮えきらず及び腰の26歳編集者の姿に、いくにんかのプロデューサーの顔が浮かんできてしまいました。
 
 
 
年齢が下のプロデューサー。
経験もまだ浅いプロデュサー。
クライアントの言うことばかりに忠実なプロデューサー。
予算だけが基準のプロデューサー。
イデアの欠片もないプロデューサー。
メールの転送が仕事だと勘違いしているプロデューサー。
まったく勉強していないプロデューサー。
なかには本職はプロデュサーでないのに会社の方針でプロデュース的なことをやらざるを得なくなってしまった肩書だけプロデューサーという人もいたりします。
 
 
 
こうした<すべてをナァナァで済ませて滞りなく仕事を終える>人との仕事は要注意です。
離岸流のようなナァナァ気分に呑み込まれてしまうととんでもないところにまで引きずり込まれてしまって、成果物のクオリティが下がってしまいます。
その結果、陰でこう呟かれてしまうのです。
 
 
演出が良くなかったですね。
演出の力不足でしたね。
演出のキャスティングミスでした。
うわぁ。
 
 
だからそうならないように、制作のプロセスでアラームが鳴ったら、口やかましく言わざるを得なくなってしまうのです。
 
 
 
あなたの考えは?
ちゃんと仕切ってくれよ。
方向性を決めてよ。
クオリティ基準はどこ?
なんでも言うこと聞いてくるなよ。
 
 
 
しかし悲しいことに、昨今ではこうした年長からの主張は自動的に「老害」とひとまとめにされがちで非常にコワい。
我が身可愛さと仕事がなくなっちゃ困ると、ちょいとためらう頻度が増えてきてしまっているのです。
 
 
「女はわきまえない」とかの、時代にアップデートできていない本当の「老害」はたしかにいます。
多様性やジェンダーや不公平を改善するための老害認定は、社会や時代の風通しを良くしてくれます。
でも、仕事のクオリティを少しでも上げるための年長からのひと言までもが「老害」とされてしまうのは辛いなぁ。
年長者からの気に食わないひと言を、なんでもかんでも分別しないで「老害」として袋に放り込んでしまうのは悲しいなぁ。
 
 
という、この一連もまた、「老害」のボヤキになっちゃうのかな。
 
 
にしても「老は害でも若も輩」って良いタイトルだ。